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メゾフォルテ

突然の驟雨に、Kは街角のカフェに逃げ込む。屋外のテラス席で母を見つける。「母さん、ヨガ教室じゃなかったの?」「ああ、おまえかい、今日は早く終わったのさ」。母は気の抜けたソーダ水をテーブルの隅に寄せ、一人でトランプを並べている。向かいの誰もいない席にも、カードを配る。「誰かと待ち合わせ? 占い?」とK、「どっちでもいいけどさ、奥に代わったほうがいいんじゃないの、濡れちゃうよ」。

「いいの、構いやしない」

「ここからが本番だよ!」

店員があたふたテラス席のメニューを片付ける。雨の礫がぴちぴち叩く。瞬く間に雨簾となり、歩道からファサードまですっぽり濡れそぼる。母はまるで気にしない。遠くから、ゴロゴロと雷の予備軍が舌なめずりするように迫ってくる。にもかかわらず、母は二回目の札替えだ。透明人間でも相手にしているのか、ポーカーにかかりっきりなのだ。向いのカードも、正確にはカードだけが、母に続いて宙を移動する。

手持ちの役を確かめるため、母は重ねたカードをちびりちびりズラせて凝視する。5秒ぐらいかけてゆっくり息を吸い込み、まさにアーユルヴェーダの呼吸法で、次には20秒ほど息をとめる。それから目を閉じて「昔、おまえが小さい頃にもよくやったね、寝かしつけたあとに」と言う。「まさか、そこにいるわけ?」。びしょ濡れのKが訊ねても、母は返事をしない。山場を迎える精神集中を妨げられたくないらしい。遠く稲妻が光る。ほとんど間を置かずに、足元から地響きが伝わる。雷鳴が轟く。Kは小さく跳ねるが、母はむしろ睨み返すように空を見上げる。「姑息なことをしやがる! こっちがいつまでも同じだと思ったら大間違いさ!」、まるであの世の人間と一緒にされては堪らないというふうに、生きている以上は少しずつでも学ぶのだと言わんばかりに。母はいっそう激しく降りしきる雷雨に挑む。きりっと目を見開き、透明人間の手札カードを読み切る。

「望むところだね! さあ、コール!」母は大声で叫ぶ。

ふたたび雷鳴が耳をつんざく。

「小心者が! 世間様の前じゃ姿も現わせないのかい!」

自信に満ちてテーブルに叩きつけるのは、ハートのフラッシュだ。

反対側にも一枚ずつカードが開陳される。雨に打たれるまま、最後の一枚を残して、ロイヤルストレートの役が揃っていく。「フン、あんたのハッタリにはうんざりさ!」母が吐き捨てる。絵札には、KINGにもJACKにも、父の媚びた苦笑が浮かんでいる。



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