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足踏ミシン~骨董~

骨董市で1956年製の足踏ミシンを買う。送料はサービスで、おまけにメーカーの指導員が使い方を教えてくれる。やってきたのは、50年代で時間が止まったような初老の男だ。ツイードのボールド・ルックスーツを着て、銀縁の丸眼鏡をかけている。「はじめまして。私がトリセツです」と男は言う。そして、一応の操作をそそくさと見せてから「さあ、こちらへどうぞ」と差し招く。誘われるまま、Kはミシン下部の踏板にちょこんと隠れ乗る。錆びた鉄の匂い、ひび割れたゴムベルト。そのまま両膝を抱え、小さく背中を丸める。仄暗い記憶のなかで蹲る、自分自身を召喚するのだ。「ですよね、そりゃそうですよね」男はすべてお見通しだと言わんばかりに頷く。トリセツの経験と矜持に賭けても間違えようがない、そんな感じだ。Kは幼児期のかくれんぼに浸る。足踏ミシンの下から覗いた薄暮の部屋。母親の、Kを匿うためにわざとミシンの前に腰かけてくれた、二本の太腿。

その奥の暗がりへ、Kはいま還っていく。さらに体を丸め、胎児のように親指をしゃぶり、頬にはさめざめと涙を流しながら。「いいんですよ、思う存分、泣いていいんですよ」トリセツの男は、K以上に咽び泣く。そっと、祈りを届けた修道女のようなハグで抱きしめてくれる。



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