99%の絶望
ロッキングチェアーに座り、Kは音楽を聴いている。すぐにうとうとしてくる。
静かにドアが開く。抜き足、差し足、誰かが部屋へ忍び込んでくる。ドアだと思ったのは早とちりで、PCのディスプレイが点きっぱなしだ。そのディスプレイから、のろのろ父が這い出てくるのだ、死んだはずの父が。「やっと繋がったわ」と呟き、父は手慣れた操作でキーボードに触れる。
カチャカチャ、ワヤワヤ、PC画面の奥から5・6人の女を招き寄せる。次々と出てくるのは、色とりどりに着飾った娼婦たち、それぞれが派手な衣装を着て、このうえない厚化粧をしている。母に知らせるべきか、Kは少なからず逡巡する。いたずらに驚かせるのも、かえって心臓に悪い。
引き続き、父は娼婦たちをエスコートする。一言も喋らず、洗練された奇術師のような手ぶり身ぶりで、Kの正面に並ばせていく。
「どうしたのさ、急に」とKは声をかける。
「どうだ、大したもんだろ」父は鼻高々だ。
「その腕前なら Google で雇ってもらえるね」
「バ~カ、手話のことだぞ」
「手話?」
「便利だな、ネットってやつは」
「……………… 」
「その気になりゃ、なんでもすぐに学べるわ」
父は指を丸めたり手首を翻したり、やたら華麗にタクトを振る。女たちにその場で逆立ちをするように命じるのだ。フレアースカートの女も、60年代風のポニーテールも、みんな両腕を床に立てる。せいのっ、で各々がいっせいに身体を蹴りあげる。タイミング悪く、仮面を付けたボンテージ女が一人だけ尻餅をつく。他の女はくすくす笑う。にょきにょき立ち並ぶ十数本の美脚に、Kは開いた口が塞がらない。
「おまえ、何歳になった?」
「これだけ集めるには苦労したんだぞ」
「どうだ、目移りするか?」
「おまえのことだから、どうせこんなザマだと思ってたわい」
天地さかさまにスカートが垂れ、もちろん女たちの局所は丸見えだ。ちっぽけな三角の布切れが、どこかの国旗さながら色鮮やかに並ぶ。網タイツの下に透けたショーツがあり、ガーターとお揃いのどぎつい紫色がある。Kは品評会への強制参加に、父の独善に、失意を覚える。
「さあ、選べ。とれでもいいから選べ」
「なんでも経験よ、経験!」
「いいか、ちょっとぐらいスカートをひらひらさせられたからって、のぼせあがるんじゃない。肉体関係を持ったからって、結婚しなきゃならん道理もない。ただの経験よ、経験」。「あのさ、父さん……」言いかけて、あとが継げないKの失意は絶望に変わる。
「なにを遠慮しとる、さあ選べ。人生なんてあっという間よ」
「死んだこのわしが言うんじゃから、間違いない」
ものの数分もしないうちに、今にも倒れそうな女が現れる。各腕が、脆弱な筋肉が、ぷるぷる震えだす。もっとも辛抱強い、どこか骨盤の大きさと結びつくような女を、父は選ばせたいのかもしれない。父はいっそう両手を上下左右に動かせ、娼婦たちを鼓舞する。
普通の手話というより、なにかその業界だけで通じる隠語のようだ。「おまえが同情するのも分かっとるぞ。だがな、それこそおまえの自惚れだ。鼻持ちならん傲慢さだ。おまえはなにも分かっちゃいない。いっぺんやってみりゃ目から鱗よ」。そこで、耐えきれなくなった娼婦の一人がバタンともんどりうつ。連鎖反応で、二人が続いてバタン・バタン。気色ばんだ父は、さらに手の動きを早める。励ましているのか、金額を釣りあげているのか。
「やっぱりマズイよ、父さん。隣には母さんが寝てるんだよ」
「その母さんを安心させたいなら、息子は早く一人前になれ」
「……………… 」
「そして、ちゃんとした家庭を築き……」
最後まで踏んばっていた女も、とうとう我慢しきれず倒れ込む。父は即座に怒りだす。血相を変え、娼婦たちに殴りかかるのだ。
もはや娼婦の存在自体が腹立たしい。革靴のまま蹴りを入れる。次々と往復ビンタを見舞う。物怖じするKへの逆上も含め、「とっとと失せろ! 孕ませるぞ!」、激高は止まず、荒々しくボケットから札束を取り出すと、自棄になって次から次へと宙にばらまく。ただ情けなく、Kはふわりふわり乱れ舞う紙幣のなかで、ぎこちなく両手を凍てつかせる。止めるべく言葉をかけようにも、父はまだまだ札束を鷲掴みにして部屋中に投げつける。
生前と変わらぬ形相のまま、札束の山に埋もれていくのだ……。Kには手話ができない……。