ニートの兄とうつ病の妹、乳がんになった母の話
ゴルァ!!!!!!どけーーーー!!!!!!
道を開けろーーーーーーー!!!!!!!!!!
不幸女のお出ましだーーーー!!!!!!!!!!
ここからはこの3ヶ月で起こった身内の話。
夏、兄貴は今年度いっぱいでの解雇通知を受けた。
東証一部上場の大手総合職。わずか1ヶ月前に、某帝国ホテルで100本のバラと一緒にプロポーズしたばかりだった。彼女も結婚に向け引っ越しの準備中、職場にて退職届もすでに受理されてしまっており、後にも引けない状態になってしまった。
部活ばかりでろくに勉強もしてこなかったために私立高校からそのままエスカレーター式で大学入学、トマトがなぜ赤くなるのかを研究していた。就活をサボり3社しか受けず、もちろんどこにも拾われず祖父のスネをかじった。今までの教育コストという概念は彼にはない。
祖父の自営業店舗を継ぐという約束で内定が決まるが、直後の祖父の葬式には顔を出さなかった。友達との卒業旅行は今しかないという理由だった。冠婚葬祭が何よりも優先されるという社会的通念は彼にはない。
葬式には兄がお世話になる社長が急遽出席し、代わりに私が挨拶をするという謎の時間があった。離婚してから10年以上ぶりに顔を合わす父親とその親族にぎこちない挨拶をすると「お兄ちゃんはよく顔を出してくれるのにね」と嫌味たらしく交流があることを知らされた。根回しという概念は彼にはない。何もわからない妹の顔をベタベタ触るおそらく後妻らしい人物を見つけ、すかさずカバーに入る。情報の共有という概念も彼にはない。
そして今年の夏、満を辞して解雇通達。兄は店を継がないという。今年度の終わりはもう間も無いがまだ彼は職も住居も決まっていない。このままだと次の春には金なし宿なしニートだ。両家の顔合わせだけは延期になった。
いよいよ祖母も体調を崩し店をたたむ連絡がきたが、それでも兄は継ぐと言わない。祖母の古い経営ノウハウでは現代は戦えないという。継いでから言え。何のための大学で、何のための脛かじりだったんだ。何も知らないお前に、経営今昔などわかるはずもない。もともと継ぐ気がないのになぜ後継の道を選んだのか。大手出身にも関わらずすぐに仕事を決められないやつなど、経営者になったところで判断ができずに店をダメにするに違いない。それを見かねた母から、代わりに継いでくれないかと言われたのは昨日の話。
7月、朝起きれなくて仕事に行けないという妹からの連絡。
買い物や恋話を一緒にしたりインスタもお互いフォローし合ったり、比較的仲のいい姉妹だが、しばらく相談が続いていた。起きれない、仕事中に吐き気とめまいがしてしまう、発熱で早退した、そんな連絡がずっと続いていたある日、出勤途中に事故ってしまった。
完全に意識が朦朧としていた中で慌てて運転し、いつもの一時停止の看板に気付けず交差点で思いきり飛び出した。幸いにもお互い無傷だったそうだが、買って1年にも満たない車は大きくへこんでしまった。
信じ難いが、その後妹は盲腸で入院した。事故から入院まで、その間たった2週間だった。続くときは続くもんだと受け入れ、1週間ほどで退院しブラック会社も大揉めしながら退職した。
昔から我慢強い反面とにかくわがままで、末っ子ならではの甘えん坊とすりかわし術で生き延びていくタイプだった。そんな彼女もやはり社会のストレスには耐えられなかったようだった。しばらくして、実家暮らしに戻った妹から「生活費が足りなくて、1万だけお金を貸して欲しい」と連絡が入る。
東京は緊急事態宣言真っ只中で私は帰省していなかったため、この不幸フィーバーでの家族の様子をきちんと把握できていなかった。なんとか力になりたいと思っている矢先、精神的に楽になれば…母の金銭面が少しくらい楽になれば…そんな思いで、1万を承諾し5万を振り込んだ。
翌月、あろうことかもう一度だけお金を貸して欲しいという。生活するだけでお金がかかることは重々理解している。多く振り込んだ分の疑問は残りながら、身を削って再度5万振り込んだ。2ヶ月で10万。私も余裕があるわけではない。外食を減らし、衣類やコスメも買わず、美容室も控え、生活をできるだけ切り詰めていた。
翌々月、「1万貸してほしい〜」の一言だけが送られてきた。理由を聞くと答えは「それくらいあれば足りるかなって笑笑」
…信じ難いが10万を振り込んだ後、彼女はライブに行っていた。グッズを買って友達をタグ付けしていた。加工した満面の笑みをストーリーにあげていた。彼女は生活よりも目の前の快楽を取ってしまう。小学生の時にUFOキャッチャーに5,000円注ぎ込んでペコちゃんチョコ1つを取ってくるような人間。確かに精神的に楽になればと、多めに振り込んだ。美味しいご飯を食べて、生活費の足しにして、気持ちが楽になれることに使ってねと言った。
それでも2ヶ月前とは打って変わってお金の大切さを見失った妹に絶望し、私は静かに理論だけを説明して全ての連絡を断ち切った。
……信じ難いがその1週間後、妹は再度入院した。40度の発熱が1週間続き、重度の扁桃炎だった。そこから妹は抑鬱症状を繰り返しながらもバイトを始めて社会復帰を試みているらしい。
最後に母。先日乳がんが見つかった。ステージ1。生存確率99%と言われている。会社の定期健康診断でしこりが発覚、再検査にて悪性と判明した。治療方法は今後決定していくが、自分のことを後回しにしていた母は保険にも入っていない。入院費用や手術代は一部自己負担になることを笑って話していたが、不安の裏返しに思えてならない。妹の世話をついこの間までしていたために母が一定の年齢を超えていることを忘れていたが、本来であれば孫の顔の一つや二つを見ても良い年齢である。私含め、子供が定職につけていないことは親からすれば不安要素であるだろうし、そうでなくても不幸フィーバーだったこの3ヶ月、親の心労は計り知れない。こまめに連絡をしているものの旅行や団欒はできていない分、こうした瀬戸際とも取れる場面で後悔しない生き方をできているか考えさせられる。母を恨んでいたこともあったがこうした状況でどうでも良いと思えないのは、母が絶えず子供と向き合って愛を与えてくれていた証拠だと思う。今回は幸いなことにステージ1だったが、いつ誰に何が起こるかはわからない。後悔のないように、きちんと向き合うことを忘れてはいけない。そんな母は今月誕生日を迎える。
本当に怒涛で、さっさと御祓に行きたいレベルのドタバタだった。3ヶ月、夏があったかさえ覚えていないような日々だった。こうも続くと目に見えないものをどうしても信じたくなってしまうけど、とにかく気を持って強く、前向きでいたいと思う。社会的に貧乏でも心くらいは豊かでいたい。家族が大変でも明るくいたい。言わないだけで大変な思いをしている人なんてわんさかいる。悲観は芸術的に何かを産んでも、解決には導いてくれない。とにかく前を向く。強く、清らかに生きる。誠実である。悲観に溺れず、楽しさで埋める。考えても解決しないことは脳から外す。そして夜は早く寝る。
貧乏でも楽しく生きる。
ゴルァーーー!!!!
不幸なのに前向き女が通るぞ!!!!気を付けろ!!!!
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