"食"を通して考える"視点"
こんにちは。
自立に向けてとにかく手を動かしたいとっとです。
仕事柄、
人工衛星がちゃんと太陽光を浴びられているか?
ということを考えることがあります。
衛星がなんの邪魔もなく太陽光を浴びられている間は、
太陽電池で元気よく電力を作れるのですが、
衛星と太陽の間に地球や月が邪魔に入ると
かげになってしまい、太陽電池が発電しなくなります。
そうすると、
そろそろ食に入るよ!次は何分後に食が明ける?
それまでバッテリで持たせなきゃ、
という話が出てきます。
最近の太陽光住宅も一緒ですね。
昼間は太陽光発電で電気を賄いますが、
夜は住宅用バッテリや、電力会社からの
供給に切り替えます。
ということで、食べる食ではなく、
天体の食について感じたお話です。
一般的な食のはなし
日食(にっしょく)や月食(げっしょく)と
いうものがありますが、こんなイメージですね。
太陽が月で隠れてしまうことを日食、
月が地球の影で隠れてしまうことを月食、
といいます。
つまり、両者とも見ている人(視点)は
地球から見ていて、見えなくなった対象が何か?
によって
日食(太陽が欠けた)
月食(月が欠けた)
と言いわけています。
何の影によって見えなくなったか、は気にしていません。
人工衛星からみた食の話
いっぽうで、人工衛星の話になると、
見ている人(視点)は、地球上になく、
人工衛星になります。
このように人工衛星は、
太陽が、地球の影で隠れてしまうと地球食だ!
太陽が、月の影で隠れてしまうと月食だ!
と騒ぎます。
つまり、人工衛星にとっては太陽を浴びたいという
大命題があるので、それを邪魔するやつ誰だ?
という視点で、
地球食(地球が邪魔をした)
月食(月が邪魔をした)
と言い分けています。
視点が違う
ならべてみます。
■地球にいる人の視点
日食(太陽が欠けた)
月食(月が欠けた)
■宇宙にいる人工衛星の視点
地球食(地球が邪魔をした)
月食(月が邪魔をした)
なんてことのない、これまで必要に迫られて
必要な言葉の定義をしただけのことなのに、
こうして比較してみると、
地球にいる人は、
他の人(太陽さんや月さん)が欠けて見える!
と気にするのに対して、
人工衛星は、
俺が光を浴びる邪魔をするやつ誰だ!
と自分のことを気にしているようにみえます。
サラリーマンも人工衛星を見習いたい
先日、人工衛星がサラリーマンに思える、
という記事をかきました。
ここでは、固定給で孤独に頑張ってる、
という視点で、似ているかも?
というお話でした。
今回、食の視点の違いを整理してみると、
サラリーマンももっと人工衛星を見習って、
他の誰かがどうなったか気にするのではなく、
自分のやるべきことをやるのにどうなのか、
を気にして仕事をするべきだなぁ、と
つくづく思います。
あまり度が過ぎると組織人として如何?
とおもわれがちですが、そもそも
組織の中で自分のやるべきことが正しく
把握できていれば、自信をもって突き進むべきですよね。
あとがき
わたしには、泣く子も黙る熊先輩という先輩がいます。
この先輩は昔、
「俺の仕事のじゃまをすると、こ〇すぞ」
とマジで言ってるほどの気概というか、本質一本で
仕事をするような人で、ものすごく尊敬している先輩です。
いまどき、もはや何ハラになるのかすら
わからないんですが、とにかくよい人に
指導いただいたと思っています。
この先輩は本当に人工衛星のように
人工衛星をつくっているんだなぁ、と思いました。
わたしも、その領域までなんとかこぎつけたいものです。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました!