K大学心理学部部長教授最終講義
皆様、本日はお集まりいただきありがとうございます。
数十年、私は心について研究してきました。
心はどこにあるでしょうか。大脳新皮質でしょうか。全身の神経ネットワークでしょうか。この、心は、とにかく人の内側にあるという前提に基づく研究はすべて一つの結論にたどり着きました。それらは結果であって、原因ではない。この結論を得るまでに私は実に四十年を費やしました。
心は、私たちの内側にはありません。
私たちそれぞれの内側にあるのは、脳であり、神経であり、心臓であり、肺であり、胃であり、肝臓であり、膵臓であり、腸であり、腎臓であり、血管であり、血液であり、免疫細胞であり、腸内細菌であり、骨であり、筋肉であって、心ではありません。
ところで、今「私の内側」という言い方をしました。まるで、私という何かがあって、それには内側があり、外側があるかのように。実は、これも真実ではありません。実際は、ただ、脳があり、神経があり、心臓があり、肺があり、胃があり、肝臓があり、腎臓があるだけです。そうでしょう。
心は私たちの内側にはない。さらに、私たちの内側というもの自体がないのです。
内側がないということは、外側もないということです。いわゆる外側に、心はどこにも見当たりません。つまり、心というものは、どこにもないのです。心は幻想なのです。この結論を得るのに私はまる一日を費やしました。
では、私というものはどこにあるのでしょうか。実は私というものも幻想です。私が脳を持っているのでありません。私が脳なのです。私は目であり、私は耳であり、私は脳であり、私は心臓である。ところで、心臓を構成する物質だって循環して入れ替わっています。私とそれ以外。どこで線を引くのかは人によって異なります。私とは、この線引きのことに過ぎません。私は宇宙である、別の用語を用いて、私は神であるという人がいますね。統合失調症とされることもありますが、線の引き方が平均的でないだけのことです。そういえば、今は、自分の金を増やそうと活動する人は正常とされていますが、私は疑問に思っています。地球環境の危機が叫ばれる今、私たち一人ひとりが、私という線引きについて考える必要があると思います。少し脱線しましたが、この結論を得るのに私は一時間を費やしました。
お話ししたいことはまだまだたくさんありますが、時間が来てしまったようです。結論だけ申しあげましょう。私は私であり、あなたはあなたです。
ではごきげんよう。よろしければ私の有料オンライン講座に登録してください。