山川ずん子
自作小説
私はそのとき小学二年生で、ミクロペニスで、停留睾丸の経過観察中だった。母は毎日風呂上がりに私の睾丸をチェックした。睾丸はあったり、なかったり、一つだけだったりして、母を一喜一憂させた。母の暗く曇った深刻な顔を今でも覚えている。ペニスは先端の肉襞がほんの少し小さく出ているだけで、ほぼ何もないような状態だった。親戚のおじさんは、私の声は女の子みたいだとよく言った。 私の父方の祖父は建築業で財を成し、後半は貸家業をしていた。私の家の隣にあったボロボロの貸家には、夫婦と大学生の
安政5年、お盆。遠藤は寺の警護についていた。幽霊が出るということで、剣の腕の立つ遠藤ら数名が呼ばれたのだった。 遠藤は幽霊を見つけ次第斬るつもりだった。寺の娘に恋をしており良いところを見せたかったのだ。 丑三つ刻になった。 寺への階段を上ってくる白装束の集団が現れた。浮遊しながら一気に堂内になだれ込んでくる。遠藤らは怯まず刀を抜いた。 遠藤も10体は斬った。 あたりに静寂が戻った。 斬ったものを検分していく。狐や墓から出てきた死体だった。と、最後の一体のところで遠藤は震えは
その日、私は駅で電車を待っていた。1時間に数本しか電車が来ない。ベンチに座っていると、夏の日差しと海からの風が心地いい。 「あの、すみません」 と声をかけられて目を覚ました。寝てしまっていたようだった。あたりは夕方になっている。20歳くらいの若い女性が立っていた。 「もう電車はありませんよ。よかったら今日はうちの民宿に泊まっていきませんか」 聞くと、こうして営業をしているとのことだった。私は泊まることにした。 彼女の運転する軽トラックに揺られながら海を見ると夕陽が沈んでいく
その日、私はある会社の社長の私邸の警備についていた。親族でパーティをするとのことだった。時間になると高級車が続々と現れた。大型のSUVから4人家族が降りてきた。事前に出席者の顔は覚えているので誰なのかはすぐにわかった。父親の後ろに黒い影があった。嫌な予感がした。父親は禍々しい笑顔を浮かべながら建物に入っていった。銃声がした。悲鳴が続いた。銃声が続く。あの男が撃っているのだと思った。私は銃を構えて銃声のする方に走った。男が見えた。私は男の胸を撃った。男は倒れた。男を含め7人の死
人に言えないことってあると思う。 心の奥底に深く厳重に抑圧し、普段は存在しないものとしているのだが、決してなくなることはない。 それとともに人は生きていくしかない。 そして、それとともに、死ぬしかない。 そのとき、私は4歳か5歳だった。 その日、私は母の友人の家に預けられた。そこには私と同じくらいの年の子がいた。その家は私の家より裕福だった。大きな家で、子ども部屋があって、おもちゃが夢のようにたくさんあって、きれいなお母さんがいた。私の家は古い平屋
2020年 ワクチンで人口削減ってウケる。陰謀論は頭悪すぎ。 2021年 2回打って副反応が大変。友人は打ってから死んだけど因果関係はないって警察官が家族に伝えたらしい。 2022年 3回目を打たなきゃヤバいんだって。仕方ないか。 2023年 人口が20%減ったんだって。私のお父さんとお母さんも4回目打って死んじゃった。警察官が家に来て、因果関係はないって教えてくれたけど、信用できない。 2024年 人口は減り続けている。健康な人の居住ゾーンとワクチン接種者の居住ゾー
十年の修業を経て夢子は田舎寺の住職となった。もともと素質はあったが、修業を通じて夢子の霊能力は師匠の力をはるかに超えた。夢子が住職として独り立ちする日、師匠は「その力、人々のために十分使えよ」と言った。 霊障に悩む人は多い。夢子の評判はたちまち広まり、田舎寺は相談者であふれかえった。遠くから車で来て、境内にテントを張って順番を待つ人も現れるようになった。 夢子は、相手を見れば、前世の因縁、今生の因縁が瞬時に分かった。ちょうど映画を一本見終わったような感じになる。悩み
平均的な凡人は、自分が思っている自分と、本当の自分が、ちょうど正反対になっている。大人物とされる人になっていくほど、この差が小さくなっている。悟りを開くとは、この差がゼロになることである。 「真面目な人が鬱病になる」というのは真実ではない。自分は真面目だと思っている人が鬱病になる。鬱病者の正体は真面目の真逆で、無責任極まりないのだ。そして、そのことを本人が自覚したときに、完治するのだ。 人は行動で判断しなければならない。口先では何とでも言える。行動が真実を表す。鬱病
人間は内臓、具体的には腸の損得で生きている。腸の損得とは、栄養成分が腸に入ってくるかどうか。この基準ですべての行動は決定されている。決定は完全に無意識に行われる。脳の実験で、意識が指を動かそうと決心した時点よりも0.5秒前にはすでに脳は活動を開始しているという事実がある。意識は決定がなされた後、あたかも自分が決定したかのように語るという役割を担っている。社長が決めたことを説明する広報みたいなものなのだ。決定しているのは腸である。それで、腸は、野生の生物であって(もちろん、身
理屈は脳、損得は肚。 理屈に従うと間違う。損得に従えばうまくいく。 人間は内臓系と体壁系からなる。 内臓系=腸(入)+血管(循環)+腎臓(出) 体壁系=感覚器官(入)+脳神経+筋肉(出) この6つの中で、最も重要なもの、というか、起点になるのは、腸。栄養を取り入れる腸がなければ、ほかのすべては成り立たない。 私たちは、腸なのだ。もともと、私たちは海で泳いでいた柔らかい筒のような生き物で、それが、陸上に進出してこのような形になっているのだ。 なので、腸の損
人間にとって最も大切なのは、謙虚な気持ちである。自己アピールが大事だ、反省なんかするな、とにかく前進だ、という考え方が一昔前に流行ったが、信じた者は全員心を病んでいる。 謙虚さを失えば心を病む。自らを省みることが大事なのだ。 謙虚さの中心にあるのは、自分の本当の気持ちに気づくこと。 人間は、体壁系と内臓系からなる。脳神経は体壁系に属する。本当の気持ちは、内臓系に宿っている。脳=理屈に従うと道を間違える。内臓系、すなわち、心(心臓)、肚(腸)に従うとき、うまくいく
人間は、理屈ではない。自分の本当の気持ち、本心、これがすべてであって、理屈は飾りに過ぎない。どんなにうまく飾れても、本心に合っていなければ、後悔が残る。自分はどうしたいのか、これをよく考えて、本当の気持ちに沿うように動いていけば、後悔はない。もちろん、それでも失敗はあるが、それは学びにつながる。 理屈で動いて後悔する、人の言いなりに動いて後悔する、これは結局、同じことで、自分の本当の気持ちが、置き去りになっている。だから後悔することになる。この場合、結果がどうなろうと必
1 信頼する人には裏切られる 子どもの頃は親を信頼していた。完璧な毒親だったけど。でも、子どもの頃は、全力で、純粋に親を信頼していた。危険なほどに。実際それは危険な行為だったわけで、私は心に大きなダメージを受けて、立ち直るのに数十年かかった。途中、長期入院して薬漬けだったころの記憶はほとんどない。今も、私はたくさん寝る必要がある。人を信頼してはいけない。親であっても。これが私が学んだことです。 2 尊敬する人には失望させられる 何とか働けるようになって、事務員として働く
人間は神の子なの ちがう 人間は人間だ 人間は罪の子なの ちがう 人間は人間だ 人間は野獣なの ちがう 人間は人間だ 人間は悪魔なの ちがう 人間は人間だ 人間は天使なの ちがう 人間は人間だ 人間は細胞の集まりなの ちがう 人間は人間だ 人間は宇宙の塵なの ちがう 人間は人間だ 私は神の子なの ちがう 君は人間だよ 私は人間なの そうさ 君は人間さ 君も人間、私も人間さ わたしもあなたも人間なの そうだよ 君も私も
「健一の大学はオンライン授業なのか。健司は今夜も塾か。君は仕事だな。じゃあ、行ってくる」 「行ってらっしゃい」 「李係長、おはようございます」 「おはよう」 席に着くと、健康診断の結果が机に置いてあった。「要精密検査」と書いてあった。 李には、数年前から毎回腎臓でひっかかる数値があった。しかし、病院に行くと毎回「まだ治療の必要はないので経過観察ですね」と言われていたので、またか、と思った。 しかし、よく見ると数値がかなり悪化している。ステージが進んでしまっている。急に
生きる意味はない。人は死んで灰になる。人は無に帰する。人生は完全に無意味なのだ。でも、生きる喜びならたくさんある。 そして、人生は無意味だと分かればわかるほど、生きる喜びは増す。 生きる意味がないと分かれば分かるほど、純粋に生きる喜びを求めて「今ここ」に集中できるようになるから。 どうでもいいんです。意味なんて。 ただ、脳はいろいろ考えるための装置。意味があるかな、ないかなと考えることもまた、生きる喜びの一つなのだ。