ただのクソッタレな自己満足のどうでもいいやつ
私は私を無個性の人間だと思っている。昔から同居していた祖母の気に入らないことを私がしていたら「あんたは愛想がない子や」と貶すから私は「愛想がない人間」になったし、母から「イラストレーターなんて無理や」と否定されたから私は「何しても無理だ」と思うようになってしまった。
父は何も言わないけど私の学費や父名義の保険料には金は入れるけど「ごめんなさい」が言えないし、姉は恵まれていない私に対して「あんたは恵まれとる」だなんて投げてくるから私は苦しい岐路に立たされてしまった。
高校2年生、高校時代のちょうど半分の時期に母を亡くした。病死だけど感覚的には急死に類する。
それまで父、母、姉、私、祖母の5人暮らしが母を除いた4人暮らしに変わった。
最初は担当をするときに何故か伯母(父の妹)も同席して祖母を中心とした生活を強いられてしまった。姉は父の弁当作りもした。私は変わらずに自分で弁当を作ったし洗濯も自分でやっていた。
ここから地獄が始まっていた。いや、もっと昔から、なんなら私と姉が産まれる前から地獄は始まっていたのかもしれない。
苦しかった。
辛かった。
死にたかった。
同居していた祖母といる時間が長すぎて、苦痛で、死にたくて、殺してほしくて、毎日吐きそうな毎日で、家に帰りたくなくて、友だちとずっといたくて、ただただ辛くて、辛かった。
祖母の気に入るような行動をしなければならない。祖母の機嫌を取らねばならない。祖母を中心とした生活をしなければならない。プライバシーなんてもんは何一つない。祖母は、あいつは私を、私の心を殺した。
過去に一度だけ「殺してくれ」と言われたことがある。私はそのとき、何を言っているんだ?と心底呆れていたし、またいつものヒスかとも思っていた。
けれど、今になっては殺しておけばよかったと思った。まあ、殺したら今頃こんな文章なんて書いてないか。刑務所、少年院で爪を噛んで自分の髪を引きちぎる勢いで引っ張って、もしかしたらタオルで首を吊っていたかもしれない。そう考えたら殺らなくてよかった。本当によかった。
祖母はよくヒスを起こす人間だった。クソ野郎の典型的な人間だ。人が嫌がることは平気でするけど自分が嫌がることはさせない。人を貶すけど自分が貶されたら周りに吹聴する。ヒスを起こせば言う通りに、自分自身を悪い意味で軸にするような人だった。いや、人じゃない。あいつは化け物だった。
そいつといる時間が長かったのは私だった。当時の私は高校生、姉は5つ上だからもう成人済で仕事があるからほぼ家にいない。父もまだ仕事をしている。こんな周りが田んぼだらけでコンビニに徒歩で10分でスーパーなんか15分かけて行くようなクソ田舎で、町に1番近いバスは1日2本、隣町に近いバスは歩いて10分足らずだが農道のせいで冬は寒いわ夏は暑いわで遮るものが何も無しの中で行けるところなんて限られている。
姉が高校生のときに勝手にバイトなんてしやがったから私は親から勉学だけに集中しろだのバイトするなだの言われて少ない小遣いの中でやりくりしようと思えばそんなに街に行けることはできなかったし、もう醜い蜘蛛の巣にがんじがらめになった綺麗な蝶の気分だった。決して綺麗とは言えない身なりだったと思う。制服マジックの高校生だったと思う。マジの陰キャだったから。
まあ、だから、祖母といる時間が家族の中で圧倒的に多かったんだよな。だから、心が壊されて、殺されたんだよな。だから、何度も死にたい死にたいって思うようになったんだよな。
短大に進学しても免許を取りに行くのがダルくて期限ギリギリでようやく取った最低な人間になって、制作なんて最初はやる気があったものの最後の方なんてやけくそになって最悪な作品に仕上がった。最低で最悪な人間の誕生である。
それなのに祖母がコロナ禍で仏間で制作している私に勝手に訪れて居座って今日の夜ご飯どうするだの○○さんがどうだのと気が散る話題ばっかり出てきて、まだ良心のある私は「今制作中やから出てって」て言ったのに頑なに出てこないから頭にきたんだろうな、そこからの記憶はないけどより一層溝が深まったんだろうな。
ああ、今思い出したけど高校のときも似たようなことしてたわ。私がマジでマジでどんだけか?ってぐらい気に入らんことをしたみたいで祖母が自分の母(私からしたらひい祖母)の遺影を持って「私がおらんとけばいいんやろ。ならこれ持って田んぼやらどこへやら行くわ」とか言ってきたことがあった。しかも父も姉もいる場で。意味わからんししょーもない、しょっぱい演技で。それでかは知らんけど家族会議になって。なんか知らんけど姉は泣くし。なんか知らんけど全面的に私が悪いみたいになるし。意味わからんくて家族より遠い場所でわんわん泣きながら「お母さんのことバカにするから」って返した気がする。でも泣きすぎて全然聞こえてなかった。こんなこと思い出した。翌日の学校でいつもは居眠りするんにその日だけアドレナリンガバガバ出て一切眠くなかった。
まあ、そんなん思い出しても今はどうにもならんけど。なんだかんだ短大の頃も悲惨だった気がする。友だちやと思っとった人間が実はそうでも無かったとか。あーあ、何やったんやろなこの短大時代。クソすぎる。
社会人になってもまだ祖母はいたし、家にいる時間は減ったけど存在自体でストレス溜まってたし、当時付き合っとった元カノに助け求めたようなもんしたら逆に元カノのこと慰めんなんとか、つーか私の人間関係腐っとるんか?
元カノの話するけど、まあ今生きとるかは知らんけど、あいつはクソでクズでドメンヘラの最低で最悪な人間やった。私より家庭環境が劣悪ってのは知っとったけど、それでも付き合って最初に偽名やって発表したのドン引かんか?それでも付き合ってた私にもドン引くんやけど。はあ、Twitterで知り合って遠距離恋愛してる頃の私に言いたいわ、「お前最後のデートの電車待ちにあいつから『旅行前の夢で(私)に振られる夢見た』って言われんぞ」って。ゲロ吐くかと思った。なんなん振られる夢って。「逆夢かもよ」って言ったら「正夢!?」とか返ってくるし。はあ、正夢だよボケナス。全然楽しくなかった。事件にあったとか倒れたとかの連絡とか一週間空けてようやく言うし。私に嫌われたくなかったからって理由やったけどそっちの方が嫌いになるんだわこれが。
もう精神的に限界に限界を重ねて何しても気が晴れんかったから支離滅裂な文章をLINEで送ったら「わかった」の4文字だけやし。怖いわ。何がわかったなん?それでもうブロックしてゲームのフレンド解除してインスタもブロックして、何もかも繋がってるやつ全部ブロックして何もかも無かったことにして逃げた。今年で多分2年目。覚えとらん正直。
そんでもう何年前?多分3、4年ぐらい前かも。ようやくあのクソババアが老人ホームに入ったんやわ。長いわ。さっさとぶち込んどけばよかったやん、もうあいつ90手前やぞ?私と70ちょうど離れとるんやぞ。こんなに離れとる人間が気が合うわけねーやろ、合うならそれは前世で親子になったからや。私の前世絶対関わり無かったやろうからこうなったんや。
でも次に出たのが躁鬱でさ。正式名称?は双極性感情障害。そう診断されるまで私は生きてる屍のように毎日生きてて、異動もして、メンタルボロボロで修復不可能で。
父は私が動いたときに近くにあるタオルを洗面所に持っていけって意味で「タオル」とか言うし。ストレスしかねーし。姉も姉でなんか言うし。あれ、この時って姉いたっけ。どうだったっけ。わからん、多分おらんかった。多分同棲で県外行ってた気がする。なんも覚えとらん。
でまあ、2週間ぐらい前に水難事故の夢見てからは恥ずかしいことに粗相もして。生理も尋常じゃない量でナプキン真っ赤に真っ赤を重ねて最早グロ注意だった。水難事故の夢って相当なストレスを抱えとる意味らしいです。
で2週間過ごしてもう無理やなって、腰痛酷くなって早退して、ここの記憶もないけど、寝て起きたら腰は痛いわ涙止まらんわ死にたくなるわの三重苦、いや何重苦?
そんで泣きながら会社に電話したら課長が出てきて泣きながら休職っていう話が出て。多分ごめんなさいばっかり言ってたかも。涙で止まらなさすぎて目はパンパンで腫れまくってた。すぐにメンクリに予約取ってその日は終わった。父に説明して休んだ。
それでメンクリ行って症状聞いて、会社にそれ送った。運転なんてできんし元カノから教えてもらった曲聴いたら気持ち悪くなってまともにできんかった。バスの中でばあちゃん(母の母)から鬼電掛かってきてそれすらも無理やった。家に私の車がある=いるってなってよっしゃ話そ!っていう思考回路やったらしい。理由言うてなかったけどやめろって思った当初。
翌日に母方の叔母(母の姉)から連絡来てばあちゃん家に行った。叔母は私の顔を見て「しんどそうやね」って言ってて、確かにしんどかった。ばあちゃん家行って焼き芋もらって、叔母がスピリチュアルのやつ趣味でやってたからタロットカードやったら家庭環境のせいやって笑った。ついでに元カノのこと聞いたら「まだ別れてないと思ってる」「信じてる」「操られてると思ってる」の3個喰らった。何?怖。
そんでばあちゃんに電話止めてって言ったら止めてくれた。ありがてえ。
そして始まった休職3ヶ月。いや、4ヶ月か。10月下旬頃から翌年の2月下旬までだった。最後に楽しめたのが新テニミュのライブやった。それ以降糸が切れたみたいに無気力になって、それで休職した。その間はコメダ行って原稿やってたし、なんか家でパンケーキとか作って紅茶と一緒に食べてた。充実してたけどやっぱり鬱ってのは簡単に逃がしてはくれん。度々波のように押し寄せてきて、鬱の刑務所に入れられてる。最悪や。鬱が刑務官やもん。あれせえこれせえって頭の中でガンガン喚いて目ん玉が飛び出そうなぐらい死にたくなった。
それでも生きなきゃいけんしクレカの支払いもせんなんから生きた。友だちとの約束もあったし無下にしたくないから生きた。好きなバンドの新曲も聞きたいから生きた。好きな漫画の完結まで読みたいから生きた。苦汁を啜りながら生きていた。希望もクソも無いやろとか思いながら生きていた。最悪のゴールデンタイムラバーや。
年末年始に姉夫婦が泊まりに来た。姉からLINEで心配をされた。父に言われた。言うなクソ。でも心配されて心が落ち着いた。それは本当。
でも地獄やった。健常者と異常者の反りは合わん。何しても私が圧倒的不利。なんなら旦那さんという外部の人間もおるから余計不利。気を遣わんなんのが無理すぎる。ゲロ吐くかと思った。
正月にクソババアがおる老人ホームに行く途中で涙と鼻水と寒気と吐き気が止まらなくなった。人生で初めての拒絶反応。猫が人間の顔に無理やり近付けられて脚で拒否するあの行動より遥かにヤバい拒絶反応出た。泣きながら「見たくない」「出たくない」って言って車の中でティッシュ箱抱きしめながら泣いてた。
それ以降もそれ以前も私だけ1回も老人ホームに行っていない。行きたくないし行ったらぶち殺す自信がある。
まあ何やかんやあって復職してもう1年経った。早かった。遅かった。感覚は日々変わる。
人間なんて人による。人によって薄情だし無情だし、情熱的な人もいればそうでない人もいる。十人十色とはよく言ったものだ。
23年生きてて思ったんやが私は家族と親戚から一線引いてる。個性を出しても霞む。なんでかって、「既婚」「子供持ち」がおるから。
友だちとやったら出せる。身内とやったら出せない。出したら後ろ指か白い目向けられる。被害妄想やって思われてもいい。私がそう思っとるだけやからスルーしたっていい。
友だちは私が躁鬱やって知ってくれとるから私のことを一人の人間として扱ってくれる。
家族と親戚は私が躁鬱やって知っていながらも私のことを異常者として扱ってくる。
今年の年末年始も去年よろしく辛かったし震災もあってか鬱になってた。夜中2時ぐらいに泣きながら白湯飲みにリビング行って泣きながら飲むようなやべえ奴になってた。
それがあって父に今年の年末年始から旅行行くって言ったら「(姉夫婦が)2階におるときは仏間かリビングおればいいやろ」って返された。
は?
それが嫌やから旅行行く言うとるやろがい。
猫ミームの「はあ?」のやつ。マジでこれ。
ていうか娘のやることに口出しすんなま。子供のやること(流石に犯罪はダメ)に親は見守るだけが仕事なんになんでそれすらも止めてくるんや。そういうのが嫌いやしキッツイしゲロ吐きたくなるんや。
父始め家族・親戚の思う年末年始は「家族でいるのが当たり前!家族団欒最高!」らしい。鼻で笑うしかないわ。そんなん全員が全員そうやと思うな。私はそうは思わん。1人でも気まずくなれば家族団欒最高!とはならんし消えた方がマシ。仮に何かしらの転機が訪れて県外に飛ぶようなことがあったら二度と家に戻らん。
当たり前って何なんやろな。親がいること、兄弟がいること、祖父母がいること、学校に行くこと、友人がいること、勉強ができること、運動ができること、仕事ができること、交際ができること、結婚すること、子供を持つこと、良い老後を過ごすこと、皆が悲しむような最期を迎えること。
こんなん全部当たり前なわけがない。片親だっているし、そもそも親がいない人もいる。兄弟はたくさんいるかもしれないし一人っ子の人もいる。片方だけの祖父/祖母もいる。学校に行けない人だっている。友人すらもいない人もいる。勉強も運動も何もかもできない人だっている。仕事なんてできんくて泣いてる辛い奴もいる。交際で失敗して泣き寝入りする悲しい奴だっている。結婚しても不倫で離婚するとか、死別とかする人だっている。良い老後なんてその前までの人生による。皆が悲しむような最期を迎えられない、逆にレ・ミゼラブルのような最期を迎える人だっている。
人は皆同じレールに立ってるわけじゃない。些細な違いのあるレールを進んでるだけ。それも自分一人で、もしくは親・友人・交際相手・祖父母・不特定多数のせいで進まざるを得ない人間だっている。つまり、人は人を比較するべきではない。
私は今まで辛くて辛くて苦しくて苦しくて、蜘蛛の糸のような希望さえも望めなくなって屍のような人生を送ってやっと報われた朝を拝めるような日を迎えたときに、「頑張ったね」だなんて言葉で片付けられたくない。
その言葉はあまりにも無責任すぎる。何も知らないくせに何が頑張ったねなのかが分からない。知ったかぶりをするな。知るなら最後まで私と向き合って罵詈雑言を浴びて共倒れになるまで全てを知れ。
代わりに言われたいのは「お疲れ様」なんだよ。
聞くけど、
勉強が終わったら?
受験を終えたら?
就活が終わったら?
仕事を終えたら?
ベクトルは全て違うけど全部「お疲れ様」だろ。もしくは「よくやった」だ。
こんな一言だけでも気分の上下に差がある。
はあ、もうめんどい。けど生きなきゃいけん。クレカの支払いもせんなんし、友だちとの約束を無下にしたくない。好きなバンドの新曲も聴きたいし好きな漫画の完結まで読みたい。
したい、したい、しなきゃ、しなきゃいけない。
だから生きなきゃいけない。めんどくさいけど。綺麗事を並べる言葉は嫌い。
「やまない雨はない」「明けない夜はない」とかいうのは綺麗事すぎて吐き気がする。それでいられるなら今こうやって毒なんか吐いとらんわ。酒の一滴も飲んどらんでこれやぞ。しらふのまま書いとんのやぞ。
雨が止まんのは異常気象やし、夜が明けんのはもうそれ、世界滅亡しとるやん。ニーアオートマタの世界や。
こんなん親戚とか家族とか、なんなら友だちとか会社の人とかにバレたら居心地悪なるやろな。別にいっかそれでも。どうせ他人に興味が無いんやから。他人に興味が無いくせして自意識過剰のクソ野郎やけど。なんか笑えてきた。
あーあ、どうしよっかな。いや、死ぬ方法は考えてない。死んだってもうどうにもならんし。死ぬならまず生きんなんから。死ぬなら生まれた1月の雪に埋もれて雲ひとつない晴れた夜空を眺めながら凍死したい。そういう死に様だって別にいいだろ、妄想だけでも。
家が無くなったらどこに行こうかな。私の帰るべき場所はあるのかな。あるといいな、どこへでも行けば、きっと見つかる。
書いてたら段々毒が無くなってきた。やっと平常心。好きなamazarashiの曲でも聴くか。聴いてから最近ハマっとる創作の中華BLの執筆でもやるか。ああでも、その前に明日の仕事の準備だ。それやってから執筆して、少しだけ絵を描いて、満足したら寝て、それで明日また起きて。
これが生きるってことなんだよな。そうだよな。
私は私を肯定するし、尊重するよ。他の誰もが私を貶して心を殺そうとしても、私がそれを止める。
なあ、高校生の私。今の私は躁鬱になって死にたくなる時もあるけど、こうやって生きてるよ。お前も辛いことはいっぱい経験してるし、これからも経験する。その度に死にたくなるし、辛くもなるし苦しくもなる。でも今ここに私がいる。立ってる。息をしてる。動いてる。
なあ、短大生の私。免許はちゃんと取ってるよ。でもお前、高3の誕生日迎えた直後に自動車学校に通うのはやめな。合宿にしとけ。座学のテストで先生に強制的に100点にさせられたから。いやあれも結構面白かったんだけど。
その後免許取ってガードレールに左擦って泣いてるし、なんなら私も去年会社の駐車場で鉄の棒に左擦って泣いた。くれぐれも左には気をつけな。
もうぐっちゃぐちゃで順序関係ねえな。それも人生か。なんて言ったら倫理を説いた学者たちに六法全書よりも分厚い本でガチビンタされそう。
まあ、とりあえず動くか。
※「健常者」と「異常者」と分けて書きましたが、悪意があって分けたわけではありません。一般の人からして普通の人間が「健常者」、その道を外れた辛い人生を送っている人間が「異常者」という意味で分けています。
皆が皆、異常者ではないです。本当は全員健常者なだけです。障害を持っても、後天的障害を持っても、コミュ障でも、アタオカでも、根暗でも、ドクズ野郎でも本当は健常者であり、その誰もが些細な道に外れた結果が異常者になってしまっただけの、辛い日々を送る人です。
私は全員を愛するわけではないしもちろんダメな奴はダメやって離れとるけど、けど1人が死んだらその人を大事に想っていた人は必ず悲しむはずだから、そこら辺はね、もうね、そういうことです。
綺麗事は言わないけど、誰かを悲しませないように生きて、誰かから「お疲れ様」や「よくやった」と言われるような最期を迎えてください。それまでは、もうなんか、犯罪とか止めにしてさ。人生謳歌してください。私もなんとかやっていくんで。
おつかれさまでした。
はずなんだがなあ
(amazarashi聴いて)