見出し画像

題材主義への不安

最近は減ってはきましたが、図工界隈で、根深く残る「題材主義」について話をしたいと思います。

「題材主義」とは、児童にどんな作品を作らせるか、他の学校の良さそうな題材事例を自校の学校で取り入れ、授業を行うことを主にしていることです。
ただ、ぼくが勝手に命名しているだけですが・・・。


「良い題材事例を取り入れる」こう聞くと、いいことのように聞こえますが、もう少し踏み込んで考えてみたいです。

この「“良い”題材事例」とは、誰にとって“良い”のでしょうか

子供にとって?
大人にとって?

学校の教育は、基本的には子供にとって良いものであるべき、という考えは異論が少ないと思います。

では、子供にとって“良い”とはどういうことでしょう


ぼくの思う子供にとって“良い”とは、子供が成長できる題材だと思います。

それは、新しい道具を使えるようになる、という可視化しやすい成長だけでなく、心や頭で考えるなど、教員からは見えにくい成長もあります。

ただ、可視化されてもされなくても、教員はそのような成長や子供の手応えみたいなものを目指すべきではないか、とぼくは考えています。



そのような子供の成長という観点から、題材主義をとらえると、不安点がいくつか考えられてしまいます。

・意識の先に子供がいない
 たいてい、他校の題材を取り入れるときは、作品展やHPなどで見て取り入れることが多いです。そうすると、出来上がった作品の魅力をもとに取り入れることになります。
 つまり子供がその題材でどんなことを学ぶか、よりも、「その魅力的な作品に、自分の子供の作品をいかに合わせるか」という意識がでてきやすくなります。
 教員の意識の先には、目の前の子供ではなく、他校の作品がいるという状況になってしまい、これは、あまりいいことであるとは思えません。

・これでいいですか?
 ある作品をもとにするので、作り方や材料、テーマなども教員が決めることになるでしょう。
すると、子供は自分で選択することがなくなります。
自分で選択しなくなった子供の多くは、教員の中に正解があるのだと思い、自分の作品であるのにも関わらず、こんな言葉を多用するようになります。

「これでいいですか?」

この言葉は、おおげさにいえば、作品の生殺与奪を教員に任せているということです。
自己表現の図工をする上でこんなに悲しくなってしまうものはないと考えるのですが、みなさんはどう感じますか??


自分が題材主義にならないためにやっていること

そのような題材主義にならないために、自分がやっていることを紹介しようと思います。

【カリキュラムデザイン】

文字ばかりで恐縮ですが、このように、その学年の児童がこれまで何をやってきたのか、これから何を学ぶのか、を3つの成長観点に基づいて、表にしたものです。

「本題材」と書かれている部分が、この表の主になる題材。その周りが過去、そしてこれから学ぶ予定の題材です。

これをすることで、子供が何を学び成長してきたのか、そして今回行う題材が、これからどんな力に影響するのかを、俯瞰してみることができます

もちろん、すべての学年、すべての題材で作成することは難しいので、ぼくは研究授業(教員同士で見合い意見交換を行う授業)や、長期の休みのときに作ったりしています。

他校の題材には、とても魅力的なものもありますが、ふと立ち止まって、このように自分の学校の児童が何をやってきたかを考えると、
他校の題材をそのままコピーして行うのではなく、自分の学校の経験に合わせてチューニングしたり、部分的にコピーして使うことができるかもしれません。


本当に大事なことは、どこかのコピーではなく、目の前の子供たちをよくみることから。
そんな気持ちで題材を作っています。


いいなと思ったら応援しよう!