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【休職日記】突然休職した社員のその後#27
まるで夢から醒めたような…
用事があって都内に戻ってきました。
あの実家でのサバイバル生活はなんだったのだ!
というくらい、脳がすっきりして心の中も快晴です!
関東の太陽みたい!すごい!
実家で平和に暮らしたいって思っていた私ですが、
なんかそれってすごく難しいことなんだと気づいてしまいました。
いわゆる、仲が良い実家で、ぬくぬく〜〜と生きてたいと思っていたんですね。
だけど、都内の部屋に戻ってきた瞬間、大きな疲れがどっと出てきたんです。
「あれ?なんで実家から帰ってきてこんなに疲れてるんだろう。」
実家は休む場所のはず…ですよね。
色々書き下して見ると、こんな感じのことが出てきました。
なぜ今回の実家帰省がキツかった?
・父親の不機嫌=自分が原因かも、と自動的に感じてしまっていた
・親の愚痴の対象になりたくないと思っていた
・親と仲良くしなければ、と無意識に思っていた
・親たちの悩みを解決しなきゃと自動的に思っていた
・親たちを助けてあげたいと思っていた
・母親には、私がストレスを感じていることをわかって欲しいけど、なかなか伝わらない
・自分が選ぼうとしている人生選択が、親の期待に沿わないことを知っているので、なんとか親が納得するような選択をしようとしていた
ファ…!?
なんか、実家モードのずっこがフル稼働している!!!
普段の暮らしではあまり出てこないワタクシ…!!!
そして見ているだけでなんか息が詰まる。
でもこれに気付けることってものすごく大切なことでして。
こういうのって、意外と職場でのコミュニケーションやパートナーシップ、普段の人付き合いの中で感じている生きづらさとリンクしているんですよね。直感ですが。
特に上下関係があるコミュニティに入ると生きづらく感じてしまうのは確実にこの辺の気持ちがリンクしていると思います。
・父親の不機嫌=自分が原因かも、と自動的に感じてしまっていた
・親たちの悩みを解決しなきゃと自動的に思っていた
・親たちを助けてあげたいと思っていた
これらは、子どもの時についた考え方の癖ですね。
幼少期のずっこが実家で生き残るために身につけた考え方です。
これらの癖をめっちゃくちゃ頑張る癖があったので生きづらさになっちゃってたのかも。見つけたぞ、裏ボス!
そしてこれらの癖を今までの福祉の仕事で存分に発揮していた自覚があります。一見いいことのように聞こえるけど、やりすぎると潰れるんですよ。
というか20代前半で潰れたことがあります(笑)。
以後気をつけてたのですが、
最近は同僚に対してやってしまっていました。うっかり。
すごく困っている同僚がいると、自分に至らなさがあるのかも、とその原因を探しながら、自分ができることをすごく探してました。
仕事の問題以上に、その人が抱える思考の癖とかまで向き合おうとしていました。
人のためになるために、なんか極限まで頑張っていたのです!!!
それ続けてたら、疲れて人間に興味がなくなるサイボーグになる〜〜〜〜
おまけに人のために頑張れない自分にペケをつける自分もいました。
これは何年か前に卒業したのですが、
親に対してはまだ続けてたみたい。
「親だから」「家族だから」「家族は大切にしましょう」。
誰かが困っていたら自分のせい?責任?
人のためになれる私が私の存在意義!?
なんじゃいそれ!!
人のために頑張るって、ものすごく素敵なことだし漫画の主人公みたいでヒーローの典型!って感じですよね。
ですが多分それって行きすぎちゃうと、自分が潰れてしまうんです。
そして相手の主体性を奪っているから結局助けてない。
自分も同じくらい大切にしてあげることって大事。
誰かが笑顔になるのを見るのは私の生きがいでもあるので、
やり方とどこまでやるか、は
これからの人生でバランス感覚を掴んでいきたいです。
実家への長期滞在はパンドラの箱だと心のどこかで思っていたのは、
過去の自分の苦しみと向き合うことを知っていたからかもしれません。
あんまり心は休めなかったけど、対人関係の生きづらさは
自分の幼少期の体験とつながっているので、
そういう意味では気づきが多い、貴重な機会でしたね。