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誰か一人にでも刺さること。それが作品の存在理由、という話

この前「東京藝術大学卒業・修了展」に行ってきました。
本当は近くでやってたモネの美術展に行きたかったのですが、平日の朝10時から長蛇の列だったのでこっちに来ました。


以前から東京藝術大学さんの卒業・修了展に行ってきたというお話を耳にすることがあったので、意図せずタイミングよく行くことができ、とてもラッキー。


開催場所は東京都美術館で、素敵な雰囲気でした。


日本画や油絵から、映像、デザイン、工芸、建築など、もうとにかく様々なジャンルのアート作品が並んでいて、私の想像というか常識を超えてくるものばかりでした。


みなさんの素敵な作品を見て学んだのは、
表現したいことに対して、画材や表現手法はあくまで手段であるということ。
「これを表現したい」と思ったら、手段は選ばず、とにかく愚直に表現しようとする。この情熱をどの作品からも感じました。表現技術はさることながら、しかし「うまさ」だけに囚われているものはあまりなかったです。
一応大まかな作品ジャンルはありますが、工芸でも布と染色を組み合わせてみたり、新聞を作ってみたり。建築の提案だけど、絵本を作ってみたり。デザインの作品だけど、歌やキャラクター設定を作っていたり。ゲームで表現していたり。
自分の世界観を大切にしながら、表現手段という枠に囚われすぎず、思っていることに向かって表現をしようとする情熱がすごい。その情熱が鑑賞者にストレートに伝わると、感動になるのかも、と感じさせられました。


もう一つ。今回の作品展を見ていて思ったのは、どの作品もそれぞれの思い描いているものを表現しようとしていて、その自分に正直なところに心を打たれました。
私もエッセイや絵画、イラスト、漫画などを描きますが、読み手のことを意識して相手の反応を想像しながら表現しようとしていたことがありました。
いわゆる、マーケティングみたいな。
ブランディングや形に拘ることをすごく考えていた時期もありました。
だけど、相手軸になりすぎると、なんか途端に自分の表現じゃなくなることがあるんですよね。


今回の卒業展・修了展はありのままの自己表現の作品が並んでいて、それこそ作品の統一感というものはありませんでしたし、何を表現したいのかもよくわからないものも多かったです。だけど、その中に惹かれるものがあったり、刺さるものがあったりして、それが自分だけの特別な出会いになるのです。その瞬間ってとても心地良くて、似たような感情を持ち合わせている人がいるのかなと、自分だけの孤独と思っていた感情を作り手の人と分かち合っているような感覚になったり、作品の雰囲気や色使いに心を打たれて癒されたりするような感覚がありました。


私も作り手の端くれですが、不特定多数の人が好むような作品というよりかは、誰か一人でもいいから心に残るようなものができれば、それに越したことはなくて、そんな風に作品を愛してもらえたら幸せなことだなあと感じるようになりました。


形にこだわりすぎず、とりあえず色々やってみたい所存です。


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