読書のきろく#1『楽園の烏』(阿部智里さん)
※物語のあらすじには触れていませんが、後半で、自分の心に残った一文を引用しています。まだ本を読んでいない方が読まれても大丈夫なように書いていますが、まっさらな状態で読みたい方は先に本を読むことをおすすめします。
八咫烏シリーズの最初、『烏に単は似合わない』を読んだのは高校2年のときだった。部活の先輩に勧められて図書館で借りて読んだ。小学生のころは活字中毒で本の虫、なんともいやな字面だけれどもそのようにしか表現できない子どもだったが、中学・高校に入ってから本を読む量は明らかに減っていた。
久々に図書館で本を借りて、自宅のベッドの上で開いてみた。夜更かしなわたしの読書はあのころから、基本的に夜中に行われるものになっていた。23時か0時少し前に読み始めるときの、ああまた早く寝られないという嘆きと、いやいや少しだけだからという嘯き、どうせ最後まで読んでしまうんでしょうという呆れた声、全てが耳の中で聞こえていながら、時計をちらとだけ見て表紙をひらくのが、しあわせだと感じられるくらいにはわたしは本が好きらしい。
先輩に勧められたから、最後まで読もう。最初はそういう気持ちで読んでいた。多少読んでいて合わないなと思っても、ひとまず最後まで行こう。でもできれば合っていてほしいな。憧れの先輩と自分の本の好みが一緒だったら、なんて素敵だろうと思うから。
わたしは最後まで読んだ。だからわかった。この本、すごすぎる。
どうか最後まで読んでほしい。なんならそのまますぐに、『烏は主を選ばない』まで読んでしまってほしい。こんなにも面白さが右肩上がりの本ってあるだろうか。
雅な表紙の絵に騙されてはいけない。物語を彩る言葉に浮かされている間に、ジェットコースターは静かに動き始める。気づいた時には物語が転じている。ひっくり返る。裏返って、戻ったように見せかけて、実はねじれている。しかし美しい言葉に心を衝かれることは、どうしてこんなに幸せなんだろう。好きな本に出合うたびに、わたしはいつも、そう思う。
さて、タイトルにあるのは八咫烏シリーズの最新刊である。私は前巻の盛り上がりを見て、また外伝も読んで、もうこの八咫烏たちの世界は完結してしまうのではないか、もうきれいに閉じられてしまうのではないかと思っていたのだが、そんなことはなかった。ほころびのない世界などない。世界がたくさんの矛盾をはらんでいるなんて、わかっているつもりだったけれど、フィクションの世界をわたしはどうも、理想化してしまうようだ。
世界である程度不自由なく暮らせる立場にいると、いつの間にか見えなくなってしまうものがある。自分の不自由はよく目につくけれども、他人に課せられた不自由は見えない。まして、自分が他人に不自由を課しているとしたらどうだろう。自分が他人の不自由に、加担しているとしたらどうだろう。
誰かを抑圧したいとか、傷つけたいとか、思う人はあまりいないと思う。だからこそ、誰かを傷つけてしまっているとき、自分ではなかなかわからない。無意識にわからなくしてしまう。だからこそ、わかろうとしなければならない。自分が傷つけてしまっている人の無言の叫びを、直視しなければならない。それは本当に難しいから、<頼斗>がこの物語で為したことは、あまりにも大きい。
みんな傷つけ、傷ついている。傷つけたり傷つけられたりしないで生きたいと思ったこともあったけど、それは結果的に、もっと深い傷を残してしまったのだった。自分を守ろうとすれば、たとえ相手を守ろうとしたのだとしても、人と関わることに臆病になってしまうから。
「人にとって、一番の希望は人なんだ」
<はじめ>の言葉は、どこかで聞いたようなものかもしれない。特別目新しくも稀有でもない。でも、わたしはこの言葉に救いを見た。
世界は複雑だ。まだ絡まった糸が解ききれないこの物語のように、わからないことがたくさんあって、どれが正しいのかなんて全然わからなくて、いちばんわからないのは何が本当かってことで。
でもわたしはしばらくは、この言葉を信じて生きてみようと思った。
物語の中身とか、具体的な話は一切書いていないけれども、美しくて時に残酷で、どうしようもなく心惹かれる大好きな本の話。これにて。