私は子宮の「重さ」に耐えられない
ここでいう「重さ」とは、物理的、つまりグラムとかキロとかの単純な単位で表すことのできる重さのことではない。
精神的に存在が重いことを示すための、「重さ」である。
実際の子宮の大きさは鶏卵くらいの大きさ、そして約40~50グラム。
おそらく私の子宮もそれくらいの大きさで、特に何も言われたことが無いので、他の女性たちとさほど変わらないのだろう。
それなのに、私は子宮の「重さ」に耐えられない。
もっと分かりやすく言い換えれば、子宮を持つ身体に生まれたことによる「重さ」に耐えられない。
私は別に身体の性と心の性が一致しないわけではなく、男性になりたいと思っているわけではない。
幼かった小学生くらいの頃は子宮の「重さ」、子宮を持つ身体に生まれたことによる「重さ」なんて微塵も感じずに生きていた。
それなのになぜだろう。
中学生くらいから…、どんどん大人になるにつれ、その「重さ」は姿を見せ始めた。
子宮を持つ身体に生まれたことによるゆえの、異常なまでの負担に対して、私は周りと同様に「仕方ない」という言葉で済ませることのできる人間ではなかった。
なんでこんな毎月苦しい思いをしなくちゃいけないのか、身体が男性より小さくて力が無いゆえに「女の子なんだから早く帰ってきなさい」と言われるのか、するかも分からないのに妊娠出産を考えてキャリアプランを考えないといけないのか・・・。
産むかも分からない未来に居る自分の子どものせいで、自分の身体と精神はどんどん理不尽を感じて思い悩むようになっていた。
先ほども書いたように周りの他の女性たちは「仕方ない」で済ませられる、つまり子宮の「重さ」に耐えられているけれど、私には無理である。
その負担はあまりにも理不尽過ぎて、もっと言うならその負担を無いように扱う今の社会はあまりにも理不尽過ぎて、これ以上私は自分の子宮の「重さ」に耐えられない。
私は女性の身体に生まれた「だけ」の時点で、どうしてこんな理不尽な思いを感じてしまうのか。
子どもを産めるのは女性だけとはいえ、その負担と理不尽さが無いように、もしくは当たり前のように扱われているのはおかしいんじゃないか。
今はこんなことを書いている私でも、いつか子宮のある人間に生まれてよかった…つまり、子宮の「重さ」を別のなにかに変えられる日はくるのだろうか。
他は「仕方ない」で受け入れていることを受け入れられない私は、おかしくて嫌な人間だろうか。
生理用ナプキンが未だに軽減税率の対象ではなく、低用量ピルの承認に40年もかかったこの国の社会で、私はもう子宮の「重さ」に耐えられない。