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絵を描くように走りたい

「走ることで何を見ようとしているのか」

のつぎに、新たな問いをさしだされた。

ZEROtoSUMMITの「WHY」と「HOW」

どうして、そして、どのように、走るのか。
シンプルなのに、いや、シンプルな問いだからこそ、
答えるのが難しい。

時間がかかってもかまわない、
答えを用意しておいてほしい──

その日からふたたび、言葉の海を潜りはじめた。

画家が絵を描くように

なぜぼくは走っているのだろう。
いろんなことを犠牲にして、多くのものと戦って、
説明がむずかしいこの活動をしているのか。
問われる前からも、ずっとひとりで考えてきた。

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ふと、ある考えが浮かんだ。

なぜ絵を描くのかと問われた画家は
なぜ奏でるのかと問われた音楽家は
何とこたえるのだろう…

答えなんて無いにきまっている。
描きたいから描き、奏でたいから奏でる。
それ以外に何があるというのだ。
世界を平和にしたいとか、誰かを笑顔にしたいとか、
そんなのは嘘だ。

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そうだ。

画家が絵を描くように、
音楽家が楽器を鳴らすように、
ぼくは世界を走りたいのだ。

ときには川をテーマに、ときには餃子をテーマに。

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そうなのだ。
川も、餃子も、目的ではなく、主題だったのだ。
絵を描くときの主題、
作曲をするときの主題と同じだったのだ。
やっと言葉にできた。

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なぜ走るのか、どのように走るのか

画家が絵を描くように、奏者が楽器を鳴らすように、
命が尽きるまで、ぼくはこの世界を走りつづけたい。

誰と競うのでもなく、何かと比べるのでもなく、
あるいは誰かに気に入られるためでもなく。

ただ、自分が走りたいと心から思える道を、
自分なりのやり方でずっと走っていたい。


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