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生まれて初めてできた幼馴染みとは、運転免許を取ってから会っていない

ぼくの生まれてはじめての友達、物心ついた時から遊んでいた幼馴染は、実家の裏に住んでいた同い年の女の子だった。

同時期に新興住宅地に引っ越してきたばかりの互いの家、周囲に知り合いも少なく、偶然子供の年齢が一緒だったこともあり家族ぐるみで仲良くしていた。

物心ついた時からその女の子はめちゃくちゃ勝ち気で、一緒に遊ぶときは常に軽くいじめられていた記憶がある。

やれ気が利かない、言う通りにおもちゃを動かせ、移動する時はちゃんとわたしを待て。

小学校に上がる頃、お互い自転車に乗るようになったが、その子はとても自転車を漕ぐのが遅く普通に漕いでいても差がついてしまう。
そのたびに「なぜ待たない」と怒られた。

正直、親同士も仲が良くて幼馴染だけど、ぼくはかなりその子のことが「苦手なタイプ」だった。

その子は、走るのもとても遅かった。
体育でマラソンをしていると、いつもその子がダントツでビリかビリから2番目。けど絶対に途中で走るのをやめなかった。

走るのが遅い子って、ちょっと走り方が独特。男子から「おい速く走れよー」などと弄られるのだが、性格がめちゃくちゃ勝ち気なので、走りながらそいつのことを物凄い形相でにらむ。

そしてそのあと決まって仲の良い女の子グループの中でその弄った男子のことは共有され、後で謝らされていた。

その女の子が家でピアノを弾くとき(いま思い返すと結構へただった気がする)
足がペダルに届かないので、その子の弟と一緒にピアノの下へもぐりこみ、ペダルを踏む役をやった。

でたらめにペダルを踏むと音が途切れたりいきなり間延びしたりして、それが不思議に面白く、弟くんと一緒にげらげら笑っていた記憶がある。

まあ、後から「ちゃんとペダルを踏め」と怒られるんだけど。

中学に上がってからは長いあいだ一度も会っていなかった。
ぼくが電車で20分の場所にある私立中に通うことになり、その子は地元の公立中に通い始めた。

その子の親父さんとはその後もたまに会っていた。
親父さんはサラリーマンではなく、建築士で自宅を事務所としていたので、昼間も近所を散歩していた、上品な人で、なんでこの親からあの勝ち気な女が生まれるのかと思ったことがある。

中学、高校と進み、お互い24歳になり一人暮らしをしていた頃に一度実家に帰った、その日幼馴染と再会した。

その子の家のガレージから1台の軽自動車が出てきた。
「あれ、あいつんちの親ってあんな車に乗ってたっけ」と思った瞬間、「パっ」とクラクションを鳴らされた。
運転席にいたのは、あの幼馴染みだった。

死ぬほど驚いた。
まさかあの子が運転免許を取るだなんて。現実に見えている光景の違和感が凄かった。


その幼馴染みの女の子は、一般的にいう小人症で生まれつき身長が低かった。小学校卒業時点でも70センチくらいだったと思う。


久しぶりに会っても、身長は変わっていなかった。

クラクションを鳴らし「久しぶり」と声をかけられた。反射的に(ピアノのペダルにすら足が届かないのに)どうやってアクセル踏んでるの?と思い、

車内の足元を覗き込んだ。

かんたんに言うと「補助器具」のようなものが設置され、アクセルに足が届くよう改造されていた。

その場で軽く話して聞いたのは
・18歳になって、運転免許をとりたいと思った。
・ただし、普通の教習車では当然無理。免許も取れない
・法律に則ると、補助器具を設置した車を持ち込むと免許の取得が可能らしく、親にお願いして免許を取った
こんな感じの経緯(かなり端折ってます)

へー、と感心していると「車、乗ってないの?」と聞かれた。
「バイクに乗ってるからいらないし、教習所通うタイミングも逃した」みたいな返事をした。

その子は「男のくせに車の免許も無いとか」と鼻で笑い「いまからどこいくの?」と聞いてきた。
実家に帰ってきて、いまから駅に行くところと言うと「あっそ」と答えた

「・・・・駅まで乗せてくんない?」
「は!?なんで?」
「え、だって車なら5分くらいじゃん」
「やだよ、逆方向だし」
「・・・・・」

じゃあねーとその子の車が走り去り、僕はその日以来その幼馴染みと会っていない。
その5年後、うちの実家自体も引っ越したので、いまでもあの子があの家に住んでいるのか、生きているかもどうかも知らない

何十年も前の、東京から電車で約1時間のとあるベッドタウン。
何度記憶を辿っても、僕らが通っていた小学校で、その子を身体のちがいから特別扱いしようという話題や、逆にその「ちがい」が原因でいじめが起きていた事実も無かった気がする(むしろその子にいじめられていたのは僕の方だからな)

あの子が小さい体で必死にみんなと同じようにマラソンを走り、学校に通い、小さな子供用の自転車に乗っていつも一番後ろから全速力でペダルを漕いで、必死について来ていた光景を最近思い出すことがある。

みんなと同じように授業をうけ、遊んでいたのはその子の親の教育方針として学校側にお願いしていたからなのか、学校側の教育方針だったのか、その子の(負けん気による)意志なのかもわからない。

生まれつき自分の体が人と違うから、4つ下の弟はみんなと同じように背が伸びるのに、という自意識によって自分を守るために人一倍勝ち気な性格になったのかもわからない。

車の免許を取れたのは、身体性の違いを受け入れる制度整備によるものだったのか、純粋にそいつの家がお金を持っていたからなのか
(いま考えると、自宅で建築事務所構えて、家にピアノあって、車を改造する費用も出せたってことだし)

全部ようわからん。

ただこう、最近人にインタビューするような仕事をたまにやったり、
イノベーションによる身体の拡張とか、差を無くすみたいな話題に触れるたび、

「あー、そういやあの幼馴染みは元気でやってるかなー」と思うことがある。

そっか、まあ言われてみれば身体の違いはあったな。
でも自分にとってはそれが日常だったし、自然なことで、むしろ10年ぶりに会った時にいきなり身長150センチになっていたほうが腰抜かして驚いただろうな。

万が一、こんな投稿してるってあの子が知ったら、絶対めちゃくちゃ怒られるか、呆れられるかなんだよな
・・・想像したら怖くなってきた

気が向いたら、この幼馴染と体育の時間にビリを争っていたもう一人の子のことも書こう。その子も、最近話題の「ちがい」を背負っていたし。

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