尋常でないボッチ達
今回はコミュ障について
コミュ障(こみゅしょう)とは・・・
コミュニケーション障害の略である。
実際に定義される障害としてのコミュニケーション障害とは大きく異なり、他人との他愛もない雑談が非常に苦痛であったり、とても苦手な人のことを指して言われる。
(ニコニコ大百科より)
ネットの普及により、専門用語が厳密でなく、広義に使われますね。
上記説明ですが「 非常に苦痛 」とあります。
人生で上手くいかない事は多々あるので「 ちょっとの苦痛 」でも、コミュ障と言ってる可能性もあり。
ネット上は
A 震災で親戚と親を亡くした「 死にたい 」
B 指のささくれが痛いから嫌「 死にたい 」
上記Aは、悲しみで疲れ果て、説明する気力がない為「 死にたい 」とカキコミます。
Bは、いちいち面倒くさいので、「 死にたい 」と打ち込みます。
区別が付きませんね。
ネットは、沢山の言葉を使うが前提ですから
「 何でもいいので書く 」癖がつきます。
今の若い人は、人付き合いが苦手になりやすい環境で育ってます。
若い時点で、人付き合いに慣れてなかったり・・・。
人見知りやコミュ障(広義)で当然かな。
それが自然だと知らず、特別な事と捉えてる場合があります。
人は会ってみないと解りません。
ネットは会わない世界なので、合わない誤解が渦巻く。
にも関わらず、スマホを手放せないのは、ネット上の仮想敵さえ現代人の癒しかもしれません。
「 死んだら負け 」の賛否ですが。
死者に鞭打つとか、死んでなお蔑まれるのか。
様々な反論もありますが、人間みんな死にますので、全員が敗者です。
これを発言したタレントが、自殺しようとしてる人を目撃したら。
止めないでしょうか?
たぶん、助けようとする筈です。
人を行動で判断しないんですね、現代人の私たちは。
( 本当は昔からですがw )
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ネットが登場するまで、割と「 ぼっち 」は当たり前でした。
ぼっち→ひとりぼっちです。
孤独を感じるのは当たり前ですから、ぼんやりとした寂しさの世界。
意識はハッキリさせると、逆に問題となったります。
人間は「群れ」社会性の動物ですから、関わりを求めます。
しかし、自然界に於いて常に単独の状況が訪れます。
ですので、孤独の耐性も機能としてあります。
ネットは情報価値(金)として、個人をソフトとして大量投入。
これに成功しました。
人と繋がりたいという欲求に火を点け、その明かりで孤独を浮き上がらせる。
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ちょっと昔の話。
お侍さんが、藩という組織から給料を貰ってる時代。
世襲制ですから、個人というより「家」にお金が支払われます。
その代表取締役が長男となります。
家を継ぐ為、長男は大事なんですが、次男から下の男性。
これは、長男が死んだ時のスペアでしかありません。
これを「部屋住」(へやずみ)と言います。
彼らは、何もする事がありません。
唯一の役割は、ニートです。
・
つい最近の話ですが・・・
小野田寛郎さん・横井庄一さんという方がおられました。
小野田さんは、たった4人で30年間、戦争を続けた最後の生き残りです。
最後の戦友を亡くして2年間は、独りで戦闘していました。
横井さんは、同じく3人で28年、戦争を続けました。
最後の戦友を亡くしてから、8年間独りで逃げていました。
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手塚治虫の作品
ずっと孤独だった少年が、初めて出来た友達の女の子に、しゃべりまくるという描写があります。
藤子不二雄fの作品
未来の世界で、宇宙飛行士が惑星に漂着、何年も独りで過ごし、生還します。
宇宙人の丸っこいキャラが出てきます。
このキャラクター、言語が出来なかったのですが、習得します。
嬉しくて喋り倒します。
( ピカチュウが途中から、話せる設定になった様なもの )
宇宙飛行士は、引きこもり状態でしたが、この宇宙人が四六時中ずっと話しかけてくるので、回復します。
・
若い方は知らないでしょうが、日本で航空機の墜落事故があり。
500人以上が亡くなりました。
亡くなった人に、野球選手・女優・歌手・スポーツ監督・同人作家・大企業の社長もいました。
明石家さんまも搭乗予定だったそうです。
4名の生存者がいました。
私の心に残るのは、内一名の10代女性。
可愛らしい顔をされており、メディアがより報道で取り上げていた。
その子の人生は、どうなってるでしょうか?
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9年間に渡り、監禁されていた少女の事件もありました。
彼女は今、スマホでSNSが出来ているでしょうか?
私はジャーナリストでなく、おぼろげな記憶だけです。
上記2名の女性に、私が投げかける「?」は愚問です。
・
震災や事故、紛争や戦争、イジメ、虐待、自殺。
これからもあるでしょう。
( 戦争は現代で必要条件がありませんが )
私も何度か苦しい思いをしてきてる、一般人です。
しかし申し訳ないとは思ってます。
もっと辛い思いをしてる人々。
これまでの人類の歴史の中で、何千億人が叫びを上げてきた。
そういう人達に比べれば、ちっぽけなものです。
ずいぶんとマシな人生を送らせて頂いてます。
他者と比較して、自分を矮小化はいけません。
自分が苦しい時に、悪いのは自分ではないか?
甘えではないか?
果たして自分の苦しみは、正しいのかどうか?
とても混乱するものです。
自分の苦しみに、正当な評価を与える。
正常でない状態で、この判断はとても難しい。
客観視し過ぎると、主観が乏しくなる。
そのまた逆もしかり。
受けるべき苦しみ
不条理な苦しみ
不必要な苦しみは、受けるべきではありません。
・
宮崎駿という有名なアニメ作家がいます。
創作に対する厳しい姿勢を、私もリスペクトしていました。
しかし、自らの息子の手で、自らのスタジオから、駄作映画を提供した。
それから少し幻滅し、映画館で作品を観てません。
( ビデオでは観るけどねw )
「 風立ちぬ 」という近年の作品
まだ観てないですが、零戦機が、戦闘するシーンが無いと聞きました。
宮崎監督は「 あえて描かないことによって描く 」という、めっさ難しく超大変な練り上げ作業をして、物語を考えるそうです。
尚且つ、それでいて面白くサービスする。
しかし今の時代は、更に逆に戦闘シーンを描くべきかもしれない。
・
私達は今
知らなくて良い痛みを知り
知るべき痛みを忘れてしまった
現代の心の問題は、ここにあるのでは無いでしょうか?
・
人間(私も含め)というのは、嘘つきだと思っています。
ですので、嘘が多くならない様に
「 嘘は付いてはいけない 」と云われている。
そう解釈しています。
昨今では「 抑止の為の停止指示 」
ダメとか、いけない、等が言葉として作用に乏しいと、云われています。
「 やめろと言われて、やめる馬鹿がどこにいる 」
なんて、決まり文句があったります。
宮崎監督は、ひとつ答えを出す→否定→また出す→否定という作業。
優れた創作に必要な作業ですが・・・その果てに。
「 よし、これだ! 」
納得が生まれます。
今現在に苦しむ。
それが逃れられない場合。
様々な事情や精神状態があると思います。
私が伝えたい事は。
「 納得 」出来るかどうか?
理解して、心が認めてるかどうか?
犯罪者が罪を理解し、その重さに苦しむとしたら
それは生きる為に、必要な苦しみです。
あなたは人を殺しましたか?
暴力を振るいましたか?
言葉で多く傷つけましたか?
もしそうでないなら、苦しみから抜けても構いません。
逃げて良いのです。
避けて構いません。
治って大丈夫です。
何故なら、あなたに罪は無いのです。
もし罪を犯した自覚があるなら、受けるべき苦しみを受け、他者に優しく接する精神を学ぶ。
残りの人生を、少しの喜びで留まる様に、満足して生きる。
学校・社会・人間関係・恋愛・病・老い。
それに囚われるのが人間です。
しかし、その垣根を乗り越え、生きる喜びを得るのも、また人間です。
生きて構わない。
死ぬまで生きて頂けたらと思います。
ではでは
りんかい先生でした( ´ ▽ ` )ノ