ショート!!
関西人に対するギャグハラスメントの話が
テレビで紹介されていた。
東京などで関西人に対し
「 なんか面白いこと言って 」
と強要する行為である。
私は珍しく腹が立った。
「 笑いを舐めてるのだ! 」
大阪の人間にケンカを売ってる。
侮辱行為である!
名誉毀損だ!
岸和田だんじり
阪神タイガース
を馬鹿にしてる!
( 北摂生まれ&野球興味ないけど )
関西といっても
三重いれるのか論争や
滋賀京都水争い
京都大阪でも
「 お高く止まってんじゃねえよ・それが下品なのよ 」
抗争もある。
世界紛争並みに溝があったりする。
そう、関西を一括りに
面白いことが言える民族と
決め付ける者は
明らかに頭が悪く仕事ができない。
世界情勢やグローバルなど
理解する能力は低いであろう。
大阪の人間は
生まれた時から
笑いの戦士として育てられる。
正直、幼少期から
このプレッシャーを受け続けるのは過酷である。
中にはトラウマになり
自己肯定感が低くなる者さえいる。
常に地域は戦場である。
笑いに大人も子供も関係なく
「 面白いかどうか? 」
これだけが人間としての価値になる。
どれだけ勉強ができても
どれだけ容姿が良くても
面白くない奴はクズだ!
逆に性別・障害・人種など
一般的に差別される者でも
面白ければ一目置かれ
天下を取れるひょうたんの都だ!
親や祖父母や
歯抜けで酔ったおっさん
ヒョウ柄を着たお嬢さんが
全て鬼教官として接してくる。
笑いに関して
甘えは一切許されない。
私も青年期には
「 面白いことが言えない 」
これが悩みの種であり
とても苦しんだ。
大阪といっても
地域によって厳しさが違い
私の育った街は
笑いの強制が低く甘い地域だった。
とは言っても大阪なので
大地そのものから出る・・・
波動
笑いが出来なければ「いけない 」
笑いが解らなければ「いけない 」
という歪んだ思想に
大人の全ては毒されている。
そしてあたかも
「 笑いこそが正義 」
「 笑いこそがみんなと一緒 」
「 笑いがないと生きていけない 」
「 学校に行かないと笑いが身に付かない 」
等と勘違いさせられてる。
事実
「 笑いが出来なくてもいいよ 」
という優しい言葉を聞いたことがない。
中途半端な優しさが
かえって若者を苦しめる。
笑いの戦士としての宿命からは
逃れられない。
だからこそ・・・
正統・邪道・シュールなど
話芸が無理なら他の表現で
個々が独自の笑いを開拓する。
笑いに真の正解は無い。
そこに笑いがあればいい。
愛が笑いであり
優しさが笑いである
人生の苦悩、生きづらさも
少しでも笑いがあれば何とかなる。
そう盲信するのが
狂った大阪人の根性である。
笑いは心を掴んでナンボ
どんな仕組みも心次第。
大阪都構想というのは
二重行政を問題と捉える話である。
まあ簡単に言えば
A行政の道路工事が終わった場所を
次の日にまた
B行政が道路工事したりする。
税金を無駄に使って
「 やった感 」を達成する。
AとBどっちが偉いか競争。
ここに地方分権が入ってくる。
コロナで東京一極集中の欠点が浮き彫りになったが
一応、大阪都構想が叶えば
コロナ後の課題である
日本のリスク分散の一助にはなる。
歴史はなるようにしかならない。
どんな仕組みでも
そこに携わる人の心次第で
悪くも良くもなる。
大阪都構想を進める人達が
疎かにしてるのは
「 心を掴む 」行動である。
仕組みや財政の健全化ばかりに気を取られ
大阪人の魂へ呼びかけが少ない。
大阪人は腹を抱えて笑えれば
それで良いと思ってる。
弱者と一緒に笑えないなら
どんなにお金があっても
嬉しくないと思ってる。
元々、権力と笑いは相反する性質なので
権力側から「何を」言っても
反発する大阪人は必ず出てくる。
笑いという心を味方にしない限り
成せるものも成せない。
「 それ大阪の人に言ったら殴られますよ 」
大阪以外の関西人で
もしキャバクラに行ったら・・・
✖間違いm( _ _ )m
「 ギャグハラにあったら! 」
こう言って返して欲しい。
関西への文句は
大阪人に言えだ!
大阪の若者が関西外の職場で
ギャグハラにあったら
即座にその会社を辞めるべきだ。
この世界の苦しみは
悲しみと涙で出来ている。
そこに光を差すのが笑いである。
小さな笑いを「 微笑み 」という。
笑いを舐めてかかる者は
大阪人を侮辱してる。
それは君の親や友人さえも蔑んでいる。
笑いを馬鹿にし
人類の希望を奪う者は
程度が低く先見の明の欠片も無い。
そんな上司や同僚から
得るものは何も無い。
人材育成が出来ない会社に
成長なんか無い。
もしあっても
人々を不幸にする事で儲ける
武器商人と一緒である。
笑いの明日はどっちだ・・・!
世界でも稀な不思議の国ジャポ~ン
グロ~バルスタンダ~ドに~~
どうしてもなれない私達。
その特異性がコロナでも証明された。
( これは悪い方に働かなかっただけで、常に善し悪しは表裏一体 )
その特異性の一つが「 笑い 」である。
笑いという娯楽において
世界で最も民度が厳しく
レベルが異様に高いのが日本である。
真面目過ぎる日本人が
日々の苦悩を笑いに転嫁したかもしれない。
ただ残念ながらネットの登場などで
一億総保守化した十数年
お笑いは鍛錬を怠たった。
大敗を喫するコロナ禍で
一矢も報いることが出来なかった。
笑いの進化が止まっている。
笑いは安易なポジティブではない。
人類の挑戦の一つである。
最近、お笑い芸人の発言で
「 難しい 」という発言をよく聞く。
難しいのは当たり前だ
お笑いなんだから!
気骨が足りない言い訳を
聞いて誰が笑う?
100歩譲って
コロナは無理でも
香港くらいは挑戦して欲しい。
まあ、今の情けない吉本興業に無理と思うが
youtubeでお金を稼ぐしか考えない三流芸人には
無理だと思うが・・・。
演劇や映画と違って「音楽」は
元々はベランダで好きな子に向け
ギターでラブソングを歌う。
隅っこでたむろする仲間同士や
友人と2人で歩いてる時に
「 爆笑させる喜び 」にハマった若者。
観衆で無くても構わなかった。
路上ライブでも戦える。
ネットも含めた
金の匂いがきつ過ぎるメディアに守られ
戦士の誇りを失ってないか?
だからロートル達がいつまでも
引退できない。
善でも悪でも
全てを笑いに変えなければいけない。
「 笑えないジョークは、ジョークではない 」
普通に言ったら炎上・避難ごうごう内容でも
笑いに変えると、意味が飛び抜け異次元に入る。
安易にどちらかの味方をするのではなく
現象そのものの「 真を表す 」
ギャグ
ジョーク
ユーモア
思わず笑う面白さ!
超越した悪ほど
高らかに笑ってるではないか!
笑いのレベル上げていく
そのイバラの道を
おケツ出して歩めるかどうか?
世界で唯一
笑いの聖地である大阪
その信仰は常に試されている。
メディアが笑いを作るのではない。
笑いでメディアを創れ!
普通のお笑いファンなのでマニアではない
オマケ
ナイナイ岡村 隆史(うつ病で休業)
ノンスタイル石田 明(自殺未遂)
上方落語の爆笑王と言われた桂 枝雀(自殺)
笑いが人を追い詰め笑えなくなる。
うつ病への考察はもう20年以上だが
感情という人間の源泉をどう考えるか?
悲しみの表現は
涙が枯れ無表情という静へ
喜びの表現は
微笑から抱腹絶倒という動へ
若ければ時に笑い過ぎ
腹が痛くなって涙が出る。
個人芸とコンビ芸の差による違いなのか?
世界にスマイルだだひとりは不可能なのか?
苦しむ者へのアドバイスは
色々あるが・・・
その一つが「 ニヤッ 」とすること。
ニャーッ!(=ΦエΦ=)
・・・✖間違いm( _ _ )m
「 笑えば元気が出る 」というのは
元の気がまだまだあるからで
本当に気力が減ると
小さな表情筋さえ動かすのが難しくなる。
とはいっても私達は普通
小さな表情筋を動かす訓練していない。
人間の魂は
存在する限り揺れている。
元気がなくても微細な揺れはある。
その気付くか気付かないかの
微細なエネルギーによる笑い。
それがニヤッ・・・(  ̄▽ ̄)
ニヤッは、不思議なことに
幸でも不幸でも意味深になる?
・・・。
今回は・・・