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『文章(長文)を書く』のに抵抗がなくなった

このnoteもそうだがX(旧Twitter)の文字数の狭さに不自由を感じアメブロを開設したころから抵抗がなくなったものがある。それは…

『文章を書くこと』である。

私の場合、学生時代の国語の成績なんか『2』なんて当たり前。就職してからも社内文書の作成では苦労したほど。

一時期唐沢寿明版の『白い巨塔』の影響で小説っぽいものを書きたくなりgooブログやlivedoorブログにアカウントまで作ったがこれが長続きせずはやりもあったのか一般的にはアメブロに向かうところがTwitterに向かってしまった。

そのTwitter、どういう訳かネットニュースへのツッコミに最初使っていたがラジオNIKKEIのリスナーになったのを機にラジオ番組の実況まがいの行動に使用目的が変わった。ここまではTwitterやっててよかったと思ったが…

その後使用改変の報道が出ても日本語は140字以上はツイートできず発信する情報を詰め込みたくてもできないもどかしさに悶々とする日々。Instagramがこの時期登場したが華やかさが先走るのと写真技術が求められてしまうスキルに向かないと感じた。

悶々とした中の着地点は『長文の書けるSNS』。本来ならFacebookがその役割を果たすはずだが一時期本名まで晒して何も徳がなかったこともありアカウントを削除した経歴があり、その答えを求めてアメブロを開設という決断に。

これがある意味正解と出る。アメブロ自体がSNSのような使い勝手であり、
「これは向いてる!」
と笑みがこぼれそうになった。

おまけにアメブロを書く際は長文に徹するようになり、『ある程度の長文を書くのに抵抗がなくなった』という福音もここから生まれる。

アメブロとTwitterを両輪にしていたがTwitterがXになりしかも閲覧制限で詰んでしまったのでその答えをnoteの開設に求めたのが昨年。練習的にnoteも毎日書く形で積み重ねてきたが今noteのほうはペースを落としている。

noteにせよアメブロにせよ『必ずしも毎日更新する必要はない』とはわかっていてもどこかしらで必ずネタ探してやってしまうのがやめられなくなっている。なぜならネット上でのnoteやアメブロをSNSと考えるべきだとする言説もあるが、最大の理由は、
『文章を書くのに抵抗を感じなくなったこと』
である。

国語の成績が悪かった際には作文の課題なんて地獄だったため、こうして年齢を重ねブログ系に親しむうちに文章を書く、とりわけある程度の長文を書くのには抵抗がなくなったのだ。

読んでいる方の中には『noteかアメブロのどっちかにしろ!』と思う方も多いと思うが、Xの140字以内での限界を知るものとしてはケースバイケース(現状だと競馬やラジオ番組ならアメブロ、雑記帳や愚痴的ならnote)での棲み分けで使い分けたほうが自分としては使いやすい。ただ、あまりにも短時間にマシンガン投稿的になってしまうとサーバー負荷で一時凍結されてしまうので可能な限り一日5回以内の投稿に収めるようには務めているのだが…

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