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【雑木の庭づくり#01】「雑木の庭」とはなにか


郷愁を誘う「里山」


まずは、私自身がなぜ「雑木の庭」づくりを始めたのかを考えてみたいと思います。

「どんな暮らしをしたいのか」
「家を建てる」という経験を経て、私がよく考えるようになった問いです。この問いを考える時、自然と私の目に浮かぶのは、郷愁をかきたててやまない「里山」の風景です。それが特定の場所ではないものの、かつて旅行で訪れた場所や、どこかへの道中で目にした光景、あるいは幼少期に読んだ童話など、様々な記憶が調和してDNAに刻まれたのかもしれません。

そもそも、里山ってなに? 雑木林ってなに?
原生林のような「自然」と、ビルが林立する都市のような「人工」。この対義語に挟まれて、里山は「自然」でもあり、「人工」でもある中間領域を意味します。その言葉の意味や表現方法が独特で、なんとなく日本らしさを感じます。かつての日本人が郷愁を覚えた日本の原風景。そんな中での暮らしに心のどこかで憧れを抱いていました。

里山はどこを見ても四季を感じることができる

田畑の近くの山裾や、裏山と呼ばれるような民家に近い低山には雑木林があります。雑木林は、農家の暮らしや生産活動と深く結びつき、長い年月にわたって人と共生してきた森です。ガスや石油・電力がエネルギー源として利用される以前は、雑木林から得られる薪や木炭が主要なエネルギー源でした。雑木林が農民にとって有用な林であった時代、雑木林は薪や炭など燃料、堆肥づくりに使う落ち葉や下草、山菜やキノコなどの食材を得るための大切な場所であり、昆虫採集など子供たちの遊びの空間でもありました。
もしイメージがしづらければ『鬼滅の刃』の主人公「竈門炭治郎」の実家の雰囲気を思い浮かべていただければ想像がつくかもしれません。彼は炭焼きを生業としていましたが、炭焼きの仕事は、まず里山で木を切るところから始まります。薪炭の原料となる材木を繰り返し伐採することを目的とした場が「里山」でした。
一見すると、木を伐採することで自然破壊に繋がるのでは、と思うかもしれませんが、炭焼きが木を切り、その切り株からひこばえ(若芽)が出て木が再生します。

切り株から出ているひこばえ(若芽)

もともと薪炭に用いる樹木は、頑丈な根を張っているため成長が速く、5年もすれば、山は再び蘇り循環していくのです。昔の人々は、山に敬意を払い自然のサイクルを理解していました。だからこそ「里山」という文化が成立していたのでしょう。山の入口の一番便利な所が薪をとる雑木林。そして、その奥で炭焼きが炭を焼いていたのです。
しかし、1942年頃には薪炭材の伐採のピークを迎え、その後は伐採は減り続け、1970年頃にはピーク時のわずか5%にまで減少しました。エネルギー源だけでなく、耕地に施す肥料も有機肥料から化学肥料に変わり、堆肥づくりに使われてきた落ち葉や下草は利用されなくなっていったのです。

循環する雑木林

では現在、そういった雑木林は日本に存在するのでしょうか。かつては身近な場にあった雑木林ですが、当然「ここは雑木林です」などという看板や境界などは存在しません。そのため、現代社会においては非常に見つけにくくなっているかもしれません。一つ頼りにするとすれば、クヌギやコナラの木が多く生えていて、下草の刈ってある明るい林、それが雑木林です。いわゆる原生林や鎮守の森などの手つかずの自然ではなく、人の生活と自然の境目にある存在としての雑木林は、実は今の社会では維持されづらい、貴重な存在になりつつあるのです。

自宅近所にある里山の雑木林。木の密度が低く照葉樹林や針葉樹林と比べても明るい雰囲気となる。

「手つかずの自然は保護して、人は都市に集まって住む」と明確に分断することは、かつての時代ではあまりなく、その中間地帯として雑木林が存在していました。あらゆる生態系にとって住処であり、人々にとっての活用の場や安らぎの場でもありました。そんな雑木林は、人と自然の関係を考えるときに、今失われつつある「適度な距離感」を象徴しているような気がします。

自宅の庭で守り続けたい価値

「だからこそ」なのかもしれません。
かつては人にとって一番身近な自然として存在していた雑木林は、今や貴重なものになっています。しかし、資源の供給源であるだけでなく、自然と親しむ遊び場でもある雑木林は、現代に残すべき、価値ある遺産の一つなのではないでしょうか。
私が「雑木の庭づくり」を始めようと思った当初の動機は「雑木の庭の雰囲気が好きだから」という、至極単純なものだったかもしれません。しかし、その根っこを深く掘り返してみると、自分の中に、こういった貴重な存在になりつつある「雑木林」を守りたい、という価値観が埋もれていたことに、初めて気付いたのです。

雑木林の頭上にはいつでも季節が躍動している

現代社会において、経済合理的にみれば、雑木林はゆっくりと消えていくものかもしれません。日常生活に薪や炭を使わなくなった現在、すべての雑木林を維持し続けることは難しいでしょう。 しかし、薪や炭は利用されなくなったとしても、雑木林には生き物の生息環境としての役割や、人と自然の身近な接点としての役割など、非常に大きな価値があります。そういった価値を、自宅の庭で細々と大切に守り続けていきたいと思い「雑木の庭づくり」を始めることにしました。

「雑木の庭」とは何か


どうしてか、「里山」や「雑木林」といった身近な自然と共にある暮らしの環境が、私の記憶の中に原風景として刻まれています。そんな「記憶」を自宅の庭につくり、時流れ穏やかで豊かな暮らしを家族とともに築いていきたいと思い「雑木の庭づくり」を始めました。
さて、それではいったい「雑木の庭」とは何なのかを考えてみたいと思います(ようやくです^^;)。明確な定義は特にありませんが、イメージを持つとすれば、コナラやクヌギ、アオダモやヤマモミジ、ヤマボウシやヤマツツジなどなど、自然樹形をもつ樹木の力を最大限に借りて里山の風情豊かな雰囲気をつくるのが「雑木の庭」です。

杜の木漏れ日(福岡造園BLOG)

———やさしく吹き抜ける風。ちらちらと揺れる柔らかな木漏れ日。生命が輝く芽吹き時。萌黄色の若葉。清々しい青葉。燃えるような紅葉。天に枝張る冬木立。
四季折々の表情を見せる雑木の庭では、躍動する自然の「いのち」に呼応して、人の「いのち」も輝きます。

初夏、手に取る位置にある木々が日差しを和らげてくれる。
(山一造園株式会社 | 施工事例)

なんでもない日常を過ごす中で、緑陰に椅子を持ち出して、珈琲をすすりながら好きな本を読んだり、のんびりとまどろんだりしていると、雑木の庭は月日の流れと「いのち」あるものの移り変わりを、そっと教えてくれているような気がします。大人にとっても、あるいは子どもにとっても、こういった自然のささやきは大切なもののように思えます。子どもが生まれてから、より一層、雑木の庭のもつ力に魅了されています。

成長した木々の木漏れ日が穏やかな日常をつくりだしてくれる。
(山一造園株式会社 | 施工事例)
自宅で泊まるように暮らすことができるのも雑木の庭の魅力の一つだ。
(山一造園株式会社 | 施工事例)

雑木の庭は、私たちが自然と共生して暮らせる身近な自然環境といえます。木々がもたらしてくれるたくさんの恩恵を生かし、心豊かな暮らしをつくりあげていきたいと考えています。

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