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雑司が谷散人の街道遊歩 0626
京街道 2日目-13 2018.12.19
京街道旧道右手に妙見宮常夜燈。
枚方宿を構成した4ヶ村のうち、岡村と三矢村の境。
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京街道右手に大きな妻面を見せる商家は、旧塩熊商店。
享保年間創業の塩屋で、赤穂の塩を販売した。
建物は明治31年築。
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旧塩熊商店は、くらわんかギャラリーとして公開されている。
淀川水運の中継港として栄えた枚方宿では、船から宿の船宿に向けて「餅くらわんか、酒くらわんか」と賑やかに叫びながら酒や食べ物を売るくらわんか舟が名物だった。
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枚方宿の中心地、三矢の京街道旧道。
右手の三矢公園が、本陣跡地。
本陣の建物は明治3年に取り壊され、北河内郡役所を経て公園となった。
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京街道旧道右手に、2号国道道標が残る。
明治18年、東京から大阪港への國道第二号路線の一部となった京街道。
その2号国道の枚方から分岐して高槻の3号国道(西国街道)とを結んだのが枚方街道。
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枚方宿の中心地、三矢村。
かつては家が三軒しかない「三屋」が地名の由来という。
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枚方で毎月行われる五六市。
これは東海道五十七次の56番目の宿場であることからの命名。
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本陣跡地から少し先が、問屋場の跡地で、枚方宿の最も賑わった場所。
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問屋場跡地を過ぎると、浄念寺前で曲尺手となる京街道旧道。
真宗寺院を中心とした集落は寺内町と呼ばれるが、枚方宿のこのあたりも寺内町のひとつ。
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この後、京阪電車枚方公園駅へ出て京街道2日目を終了。