雑司が谷散人の街道遊歩 0788
美濃路 2日目-02 2019.5.22
美濃路旧道は伊勢安商店の少し先で鉤形に曲がり、五条川東側の県道を北へ向かう。
このあたりから清洲城の丸の内。
名鉄線の高架下をくぐると、県道から左へ美濃路旧道が分かれ、五条川東側を北へ向かう。
左手には清須船杁町の地名があり、ここでも尾張の国字「杁」を見ることができる。
美濃路旧道は清須宿へ。
もとは清洲城の城下町で、慶長17年頃からの清洲越しにより町が名古屋城下へ移転した後、美濃路の宿場として再生。
清洲城は長らく尾張国の中心だったが、関ヶ原の戦いの後に家康の命により名古屋城の築城が決まり、清洲城下の町家や寺社の大半が名古屋へ移転した。
清須の表記は「清須」と「清洲」が混在しているが、「須」の方が古くから使われていたようで、戦国期から江戸期には主に「洲」が使われていた。
明治22年の町制施行では「清洲町」となったが、平成17年の合併で「清須市」となり、「洲」と「須」の混在が益々進んでいる。
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