雑司が谷散人の街道遊歩 0860
美濃路 4日目-06 2019.6.23
県道左手の正覚寺には、芭蕉塚がある。
芭蕉の死後、全国でも最も早くにできた塚。
芭蕉は大垣の俳人、木因と親交が深く、両者を偲び、大垣藩士で芭蕉門下だった近藤如行らが碑を立てたのが、「芭蕉・木因遺跡」。
県道は養老鉄道の踏切へ。
線路に沿って北へ向かうと、西大垣駅。
大正2年開業の養老鉄道は、四日市港と敦賀港を結ぶ計画のもと、大正8年に桑名まで開通。
水門川の舟運とは競合関係にあったが、大垣では鉄道と舟運の棲み分けが進み、養老鉄道が直ちに舟運を脅かしたとうことではないという。
美濃路の道筋は、久瀬川町4丁目交差点を過ぎると、中川橋で旧木戸用水を渡り、杭瀬川手前で旧道が左へ分かれる。
すぐ左手には徳圓寺。
美濃路旧道はやがて杭瀬川左岸へ。
古くは揖斐川の本流で、享禄3年の大洪水で揖斐川の流路が変わり、今の姿になったという。
慶長5年、関ヶ原の戦いの前哨戦となった杭瀬川の戦いの舞台。
塩田橋で杭瀬川を渡ると、塩田の常夜燈が立つ。
明治13年、杭瀬川上流の赤坂港と桑名との舟運の中継港となっていた塩田港に、航路の安全祈願と伊勢神宮への献燈を兼ねて建てられたもの。
往時、塩田港には常時20隻余りの船が停泊し賑わったという。
平成30年の台風被害で、今はブルーシート姿。