雑司が谷散人の街道遊歩 0871
伊勢街道 1日目-08 2019.7.24
江島本町と白子本町の境界で、伊勢街道旧道は鉤形に曲がる。
小笠原藩領江島と、紀州藩白子との境界であり、高札場が置かれていた。
天明2年、ロシアへ漂流し、エカテリーナ2世に謁見して寛政4年に帰国した大黒屋光太夫は、白子を拠点とした廻船の船頭。
紀州藩の米を積んで白子から江戸へ向かう途中、駿河沖で暴風に遭い、漂流した。
白子の名産品といえば、伊勢型紙。
江戸期の紀州藩の保護を受けて発展した。
戦災や着物需要の減少で衰退したが、今も伝統的工芸品として技術保存の取り組みが続いている。
白子川を渡る和田橋の前後で、伊勢街道旧道は再び鉤形に曲がる。
その先の右手に久留真神社。
古くは今の白子小学校付近にあったようだが、紀州藩代官所設立で移転したという。
境内の松は御神木の福徳の松で、神社は「福徳さん」と呼ばれて親しまれる。
久留真神社の先で、もう一度鉤形に曲がる伊勢街道旧道。
その角に道標。
昭和12年のもので、「さんぐう道」「神戸 四日市道」と刻まれている。
伊勢街道旧道は白子宿南部の街並みへ。
このあたりにも古い商家が多く残る。
白子2丁目の伊勢街道旧道沿いは、同心屋敷の跡地。
街道を挟んで両側に5軒ずつ並んでいたという。
この後、釜屋川沿いを近鉄鼓ヶ浦駅まで歩いて、伊勢街道の旅1日目を終了。