見出し画像

雑司が谷散人の街道遊歩 0772

日光街道 1日目-08 2019.5.4

千住大橋北詰から隅田川の護岸に降りると、御上り場の跡。
千住宿の南に位置するこの地は、市中からの船を降り、街道へ踏み出す地であり、千住近郊の鷹場へ向かう将軍家一行や日光門主などが利用したことから、御上り場と呼ばれた。

御上り場跡

千住大橋北詰の先で国道4号から右へ分かれる日光街道旧道。
その右手は足立市場。
都内唯一の水産物専門卸売市場。
江戸期は日光街道を通じて集まる青物や米穀中心の市場として賑わい、神田、駒込と並ぶ江戸三大青物市場のひとつとされ、幕府の御用市場だった。

足立市場

日光街道旧道右手に、奥の細道テラスと芭蕉像。
千住は奥の細道の出立の地。
元禄2年3月、船で隅田川を北上した芭蕉は、千住から奥州への道を歩み始めた。

奥の細道テラス

日光街道旧道に「やっちゃ場」の案内板。
やっちゃ場とは青物市場のことで、江戸期から戦前にかけ、千住の日光街道沿いには多くの青物問屋が集まり、活気にあふれていた。

やっちゃ場跡

千住河原町を北へ進む日光街道旧道。
この先の千住仲町交差点で旧道を横切る墨堤通りが、かつての掃部堤の跡で、その手前は堤外地、すなわち荒川(隅田川)の河原。

千住河原町

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?