雑司が谷散人の街道遊歩 0849
中山道 8日目-10 2019.6.19
笹沢を石伝いに渡ると、道はさらに狭まり、長い急坂が続く。
長坂と呼ばれ、和宮道はこの急坂を避けたものと思われる。
右から和宮道が合流すると、仁王門跡。
碓氷峠の熊野神社の別当寺だった神宮寺の仁王門があった場所。
明治維新で寺は廃寺となり、仁王門も撤去された。
いよいよ碓氷峠熊野神社が目前に迫ると、右手に漢数字の刻まれた「みくにふみの碑」。
「四四八四四 七二八億十百…」で始まる文字は、「よしやよし なにはおくとも…」と読む。
道は碓氷峠へ。
碓氷峠は上州と信州の国境であり、今は群馬県と長野県の県境。
太平洋側と日本海側を分ける中央分水嶺でもある。
中山道右手に碓氷峠の熊野神社。
安中藩主の板倉勝明が安政2年から始めた安政遠足のゴールも、この熊野神社。
参道、石段から山門にかけての中心線が、県境となる。