脱リストカットまで
※題名通りちょっとグロい内容です。
自分の心の中のモヤモヤ。
誰にも相談出来ないこと。
そして、両親にかまって欲しい気持ち……
私は少し複雑な家庭のもと育ってきました。
父も私と同じく精神の病気を患っていますが、働こうという焦りが全くなく開き直っているような超絶ダメ男、子供を育てるにあたって必要なお金を出そうとしないドケチ、そして子供(私)に対し平気で酷い言葉を放ってくるような猛毒な親。
母は普通なのですが、病気のせいにして開き直る父に対し文句を言えないタイプ。
初めて腕を切ったのは中学3年生のある日の夜。その時はカッターが無く、部屋にあったハサミでシュパッ!!とやってみたのです。
中学時代は初めての恋愛等の思い出が詰まっている時期でもありましたが、今以上に繊細なハートの持ち主でした。
そして、繊細なハートを持つ私をとても心配していたのが担任の先生でした。
次の日、担任の先生が私の腕を見たのです。切った刃物を俺が預かるから、と。中学時代のリストカットは終わりました。
問題はその後。
大学受験が終わり、上京しました。
最初は近くにあったハサミで軽く切ったのですが、すっきりとした気持ちと流れていく血を見て「私、生きてるんだ」という不思議な気持ちが現れました。
双極性障害である鬱と躁の入れ替わり時期…
鬱状態が続く時期は特にリストカットとマイスリーの乱用がよくありました。
リストカットも刃物がハサミからカッターへ変わり、そしてもう少し切れるデザインカッター、最終的にはカミソリに移行しました。
皮膚を切る訳ですからすごく痛い、痛いはずなのに心の方がずっと痛いのです。
なぜ私は愛されないの?
これまで私は何か悪いことした?
もっと私を見て、もっと心配して!
そんな気持ちでいっぱい、毎晩腕を切っては泣きじゃくっているあの頃でした。
きっとこれからもリストカットはやめられない、もうダメだ……と思っていたのですがちょっとした出来事でリストカットをやめることができたのです。
リストカットをしている方はご存知、カミソリはとても深く切れるものなのですが私はある日深く切りすぎてグバァーと皮膚が開き脂肪が見えるほどやってしまったのです(グロすぎる)。
その日はマイスリーなど乱用しており切ったそのまま私は寝てしまいました。
朝目覚めると…当たり前ですが床や家のものが血だらけ、腕を見るととんでもない事になっていたことに気づき、私は直ぐに整形外科に向かい、一番仲の良い友達にこの事をLINEしたのです。
まず整形外科での処置がとにかくとにかく痛かった。心のほうが痛い…とか言ってる場合じゃないくらい痛かった。
消毒液が皮膚の奥の奥に届くあの感覚は二度と忘れられないくらい痛かったです。
本来なら保険適用外な処置なのですが、お医者さんが「もうこんな事しないなら今回は適用してあげる」と優しく言ってくれまして、保険適用内で処置することができました。
そして家に帰ると一番仲の良い友達が来てくれていました。
出血量が多かったので私は貧血を起こしており、友達はまず私をベッドに寝かせ、それから血だらけの部屋を綺麗に掃除し始めたのです。
部屋に散らかった自分の血を綺麗に拭いてくれる友達の姿を見て、「私なにやってんだろ…」とその時初めてリストカットを後悔しました。
この出来事があった以降、友達にはこの迷惑を二度とかけたくないという気持ちが強くなり、あんなにやめられなかったリストカットをキッパリやめることができたのです。
リストカットをやめて2年が経ちました。
現在、私の腕は白いリスカ跡でいっぱいなのですが後悔がいっぱい詰まった腕なので夏どんなに暑かろうと絶対に長袖を着ています。
前に載せた記事で「メンヘラ」という単語が世の中に出回ってるという話を書きました。
その事もあり、大学で仲良くなった人には絶対この腕は見せないと決めたのです。
ただのおサボりさんって思われたい気持ちが強いのです。
ここまで自分のリストカット歴のお話をしましたが、リストカットは誰かの助言で早々やめられるものではないです。
周りにリストカットしている人がいたら、「後悔するからやめな!」とかではなく「話聞くことくらいは出来るからなんでも愚痴話してね」くらいの言葉と、あとは放っておくのがベストです。
リストカットは本人の問題であり、
構って欲しい、辛い、ファッションメンヘラ等の理由あってリストカットをしている人々も多いのが現状です。
ですが、私と同じようにちょっとした理由でリストカットをやめられるかもしれません。
少しでも私の経験談が役に立てたらと思い、記事にしてみました。
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