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AIはボードゲームをプレイヤーとして楽しめるのか

ボードゲームデザイナーとして最近のAIへの注目の仕方はもっぱら、AIにゲームを考えてもらうことは可能なのかということだったのだけど、その問いのなかにそもそもAIはボードゲームをプレイヤーとして楽しむことができるのか?が含まれていると気づいた。

人間だと、自身が楽しむことができないなら、誰かを楽しませるゲームを考えることは難しい。

人間のボードゲームデザイナーは100%の割合で、少なくとも主観的にはボードゲームが楽しくて、好きでたまらないという性質をもっている。新しく買ったゲームを一緒に遊んでくれる人をいつも探しているし、ボードゲームをプレイしたことがない人に楽しさに気づいてほしいと思っている。そういう気持ちがあって、新しくゲームをつくるのだ。

でもAIはひょっとしたらそうではないかもしれない。そういうふうに思っているように見えるかもしれないが、本当のところは信じられない。

この信じられる・信じられないが、バカバカしいかもしれないがボードゲームプレイヤーとして見た時のAIと人間との違いだと思う。

僕らはボードゲームを人間と遊んでいるとき、他のプレイヤーが楽しんでいるか、真剣であるかがなんとなくわかる。自分が楽しければ相手もそうだと信じている。頭の中をスキャンして分析とかしてないけどわかる。完全に同じくらい楽しいとまではいかなくても、ある程度は楽しいと合意が取れていると考えながらプレイする。

そうやって楽しい場が成立していると合意できるからこそ、いい大人達がいたるところでわざわざ休日に集まって遊ぶ価値があるのだ。デジタルゲームとの違いはそこにある(念の為だけど、それはエンタメとしての優劣ではない)。

ただその前提にあるのは相手が自分と似たような身体をもって、同じ地球の上で数年〜数十年生きて世界観を共有しているという認識だ。言葉での会話とかのコミュニケーションはその微調整にあたると思う。

AIは言葉はかなり巧みに操るようになったけれど、世界観と身体は今の所共有していない。

世界観はまだまだ難しそうな気がするけど、仮に身体をAIが頑張ってクリアーしたらどうなるだろうか。似たような身体、例えばイシグロイドみたいな殻に入って、人間並のレスポンスで動作するAIだったらどうなるだろう。

これは完全に未知なので想像になるけど、やっぱりなんか違う気がする。オペレーションは違和感なくやってくれるだろう。『将棋』『ブロックス』みたいな論理がものをいい、会話のないゲームはいいかもしれない。ディスプレイ上に表示されたピースを動かすよりははるかに楽しそうな気がする。ただ、プレイ中の盤外戦術とまではいかなくても、ちょっとしたやりとりが人間同士なら起こりそうな場面で冷めてしまいそうな気がする。

だからたとえば『はぁっていうゲーム』みたいな大喜利系のゲームは一緒にやっても楽しくなさそうだ。仮に人間がやってくれたら間違いなく爆笑するようなやり方をしてくれたとしてもなんか笑えなさそうである。

プレイしたことがある人ならわかると思うけれど、大喜利系のゲームはルールで導かれる回答そのものではなく、それに対する場のリアクションこそがセッションが盛り上げる。

相手が自分と同じ緊張感と期待感をもってお題に回答していると信じ、公開し合うからこそそれを受けて一緒に楽しめるが、AIが回答を導き出す回路は(今のところ)「自分がおもしろいと思った回答」ではなく「多くのおもしろいとされる場面で採用されている回答」だ。そこには緊張も期待もなさそうなので、同じような身体でその場にいても、結局越えられない壁がありそうだ。あるいは、それすら言語と身体でクリアできるものだろうか?

ここまで書いてきて気づいたけれど、将棋だろうが大喜利だろうが、そしてAIだろうが人間だろうが、ボードゲームをプレイヤーとして楽しめるかどうかの答えは、結局一緒にプレイしている人の主観ということになる。相手が人間だと、ボードゲームを楽しんでいると"比較的信じやすい"だけであって、それだって本当のところは分からない。

プレイヤーAが楽しんでいるかどうかは、プレイヤーBから見ると主観の中で答えを出すしかない。いくらプレイヤーAが「楽しんでるよ」と言ったとしても、それが本当かどうかは誰にも分からない。

A自身も主観的に楽しいと思っていても、それこそAIと同じように、「多くの場面でこういう状態で気分が良かったから楽しいと判断している」だけなのかもしれない。それをBが楽しんでいるようだと信じられれば、Aは楽しんでいることになる。

だから唐突に例えを出すけれど、ボードゲームプレイヤーとしてのAIへの向き合い方は『ドラえもん』における登場人物のドラえもんに対する姿勢が健全なのかもしれない。のび太はドラえもんが人間と同じような世界観と身体と言語で自分に対峙していると信じているように見える。一緒に暮らしているのび太以外の人物たちも、ドラえもんを人間と区別せずに接している。相手の振る舞いから得られるメッセージが、自分が振る舞って周囲に発信するメッセージと同じコミュニケーションだと認識しているのだ。

ドラえもんのようなインターフェースが実際に登場した時、『ドラえもん』の人物たちと同じように接せる自信は今のところない。AIがボードゲームをプレイヤーとして楽しめるようになるのは、それを僕らができるようになった時なのかもと思う。そうなった時に初めて、AIがつくったゲームが人間が作ったものと遜色なくなるんじゃないだろうか。

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ミヤザキユウ/ボードゲームデザイナー
ナイスプレー!