Light Years(180) : November Steps
ランチを終えて、ライトイヤーズの5人が駅に向かって歩き出した時だった。クレハがまたしても何かの気配を感じたと言い出した。
「気のせいじゃない?」
「気をつけて。私達は以前よりさらに知名度が上がって来てる。また、ストーカーじみたのが現れないとも限らない」
クレハの指摘に、4人は身構えた。夏には、ミチルが実際にストーカー被害に遭っているのだ。そう思っていると、正面から若いカップルがおずおずと、ミチル達の顔を確認しながら近寄ってきた。
「あのっ、ライトイヤーズのみなさんですよね!」
ミディアムヘアの女性が訊ねる。ミチルがそうですと答えると、ふたりは嬉しそうに一瞬見つめ合ったあと、改めてメンバー全員を見渡した。
「あのっ、音源聴きました!」
「フュージョンって初めて聴くんですけど、カッコいいですね!」
「レコ発ライブ行きたかったんですけど、とっくに売り切れてて…」
女性の残念そうな顔に、ミチル達は一斉に申し訳なく思った。自分達の知名度を過小評価していたのが最大の原因である。
「ごめんなさい!この近辺でキャパが一番大きいの、マグショットさんしかなくて」
さんざん謝ったあと、女性のスマホケース、男性の電子手帳のカバーにそれぞれミチルがサインしてあげると、ふたりは嬉しそうに去って行った。
「あれ以上キャパが大きいとなると、この辺じゃ野外でやる以外ないな」
バンド経験が最も豊富なジュナも、会場の選定と確保だけはどうにもならない。ないものはないのだ。
「そのうち、東京にでも遠征するか。遠征、っていうほど極端に遠いわけでもないだろ」
ジュナの提案は大胆だっただろうか。ミチルは何となく、東京の方角の空を見る。
「実際、もう横浜まで行ってるしね」
曲がりなりにも、ライブ活動について計画を立てられる自分達にミチルは気付いた。1年前からは想像もできない。
だが、今のライトイヤーズはまだ、周囲からのサポートのおかげで活動できているに過ぎない。独立したバンド活動、というには程遠かった。ローゼス・ミストラルは自分達で当たり前に東京でライブをやっていて、本当に凄い。
そういえば、彼女達はその後どうなったのか。それを、ミチル達は後日、まったく予想外の形で知る事になる。
駅に向かう途中のデパート入り口で、ジュナとマーコがライブ用のタオルを1階の百均で買うために入店した。その間、メンバーは店の前の少し広いスペースで待機する。
ミチル達が談笑してしばらくすると、その入り口とは逆の方向からジュナ達が戻ってきた。ただし、ジュナとマーコに挟まれる形で、見知らぬ長身の中年男性も一緒だった。
「クレハ、お前の言う通りだったよ。このおっさんが、あたしらの後ろをつけてた」
百均のビニール袋を下げたジュナが、気まずそうに立つ、白髪混じりの男性を横目に見上げて言った。老けてはいるが、若い頃は美男子で通ったのではないか、と思える容姿だ。
ただ、スーツはしっかりした生地のようだが、女子高校生の目から見ても、着こなしができているとは言い難い。ネクタイのないシャツはストライプが入っているが、お世辞にもスーツとマッチしていなかった。
その男性を見て、クレハは断定的に言った。
「洋華大学の、宮本信一郎教授ですね」
その名に、ミチル達は驚いた。それは、ついこの間、ライトイヤーズあてに挑戦的なメールを送ってきた相手だからだ。クレハは、わざわざスマホで事前に、教授の近影を検索していた。クレハが示した写真と、同一人物で間違いない。
「…その通りだ」
「どっ、どうして宮本教授が私達を?」
「それは…」
何かを言おうとして言い淀んだ宮本に、クレハが冷徹に言ってのけた。
「私達の行動パターンが、あなたの予測をことごとく外れていた。その疑問を解くために、私達を直に観察しようとした。そんな所ですか」
その指摘は図星だったようで、宮本氏はハッと目を瞠ってクレハを見た。クレハは間髪入れず続けた。
「この推測は、私のものではありません。私の雇った探偵の、調査に基づいた結論です。宮本教授、あなたは昨年夏頃から、私達ザ・ライトイヤーズの動向を調べておいででしたね」
それもまた、見事に的を射ていたらしく、宮本氏は観念したような、開き直ったような表情を見せた。
「その通りだ。私達は、君達の楽曲やライブ、メディアの露出、様々な業界の人間とのコンタクト、全てを分析していた」
「川崎市の赤坂探偵社の探偵をお雇いになって、ですね」
「参ったな。どうやら、君が雇った探偵の方が一枚上手のようだ」
その口ぶりからすると、いまクレハの言った赤坂探偵社とかいう業者を、この人物が雇ったのは間違いないらしい。だが、やはり謎は残る。なぜ、そんな事をしたのか。一行はその場から、駅近くの広場に移動した。
宮本教授によると、氏は昨年夏、ザ・ライトイヤーズという少女5人のフュージョンバンドがにわかに注目され始めた事に興味を持った。自身のAI、ディープラーニングをさらに発展させた新技術のデータ収集のため、ライトイヤーズは格好の素材だった。
その出発点は、流行していなかったはずのフュージョンというジャンルで、どのようにしてライトイヤーズが人の心を掴んだのか、という分析から始まった。
はじめは、純粋な興味だった。フュージョンの良し悪しがわからない宮本氏は、ひたすらライトイヤーズの楽曲に、そのとき流行している楽曲と似通っている要素がないかをAIに精査させた。AIによる分析結果は、ザ・ライトイヤーズの楽曲が『流行という視点から見てヒットする可能性は6パーセント』というものだった。
その後、ザ・ライトイヤーズにメジャーレーベルの人間が接触した事を知ると、今度は『行動主義心理学』の理論に基づいたAIに、契約を結ぶ確率を計算させた。あらゆる状況から、『ザ・ライトイヤーズがメジャーレーベルと契約する可能性は98パーセント』という数字が弾き出された。結果はオファーを蹴り、その後ライトイヤーズはどこにも所属しない状態で、ステファニー・カールソンのオープニングアクトを務める。
その後も、ライトイヤーズはことごとく、AIの予測とは異なる行動を取り、異なる結果を出した。中でも、龍膳湖の火災跡での野外ライブ敢行は、行動主義心理学のパターン、セオリーから完全に逸脱した行動であり、AIは事実上、分析を停止してしまう事態にまで陥っていた。
「私のAIは、おおよそあらゆる人間の行動を推測できる。動画配信で他者への脅迫や名誉棄損を繰り返したインフルエンサーがどういう経緯を辿って逮捕に至ったかも、89パーセントの確率で的中させた。人間の行動だけではない。あらゆる芸術作品も、どのような作品が社会に好まれるかを予測できる。また、行動主義心理学のパターンを、画像生成や音楽生成に応用し、”次に流行する作風”を予測して、それに対応する作品さえ生み出す事もできる。具体的なタイトルは明かせないが、昨年4月にリリースされてヒットした、ある20代女性シンガーのJ-POPバラードは、実は私のAIによって作曲されたものだ」
とつぜん述べつ幕無しに語り始めたと思った宮本教授は、すごい事をサラリと言ってのけた。去年の4月リリースでヒットした女性のバラード。5人はもう、すぐにそのタイトルがわかった。
「あっ…あれがAIによる作曲だというの!?」
ミチルは、まさか冗談だろうと思いつつ、教授は至って真顔である事に、薄ら寒い思いがした。科学技術高校に通う生徒としては、完全に疑う事もできない。
「正確に言えば、AIが生成した譜面を、キャリア36年のベテランのライターが手直ししたものだ。もっとも、私にはその良し悪しなどわからないがね」
そこで初めて、宮本教授は笑いのような表情を見せた。どこか物悲しい顔だった。
「そうだ。私には、音楽の良さがわからないんだ。音楽の、何が楽しいんだ?特定のリズム、音階の変化、音色の違い。それが何だというんだ?ただ単に周波数、気圧の粗密が変化しているだけだ!」
その、宮本氏の突然の激昂は、さすがにミチルたちも予想外だった。まるで感情など持たないかのような冷たい表情の持ち主が、唐突に感情を爆発させたのだ。
「私は子供の頃から、娯楽というものとは無縁の生活を送ってきた。私に与えられた楽しさとは、成績や業績といった、数字で表わされる明確な結果によって、他者を上回る事だけだ。私はやがて、行動主義心理学に行き着いた。人間の内的な意識を否定し、全ては後天的な体験に基づいて次の行動が決定される、とする学問だ」
「要するに、あなたに言わせれば音楽に感動する体験も、後天的なデータの蓄積による楽曲への反応、要するに幻想にすぎない、という事ですか」
マヤの指摘に、宮本氏はまたしても自嘲気味に笑った。
「そのとおりだ!要するに人間は、特定の音のパターンに対し、後天的な情報の蓄積に基づいて反応しているにすぎない。音楽に限った事ではない。物語も、流行するファッションも、何もかも。人間は単に、それらの本質的には無機質な事象に、意味づけをして感動という幻想を味わっているに過ぎない。だから、『これが流行です』と情報で煽ってやれば、人間はそのとおりの消費行動に出る。それを理解して自己の利益に利用しているのが、IT産業の中枢にいる人間達だ。くだらない情報をやり取りするだけの、本当は必要でも何でもないアルミとガラスの板切れにも、彼らが『人類にはこれが必要だ』と煽るだけで、人は平然と10万、15万という金を出す。何もかも、情報によって意志をコントロールされた結果だ」
その主張に、5人の少女は頭がくらくらするような思いがした。だいぶ的確な分析に思える気もするが、それにしてもこんな無機質な考えに支配された人間がいるのか、と思った。いったい、何が楽しくて生きているのか。だが、小鳥遊さんの調査によると、いま本人が言ったとおり、この人は幼少の頃から、ただ人を上回るためだけの教育を受けてきたため、こんな性格になってしまったのだろう。
皮肉にも、それは本人が言った理論を体現してもいた。娯楽を排除した幼少期を送った後天的な学習の結果、『楽しむ』という自然な感情を、どこかに置き忘れてきてしまったのだ。
「行動主義心理学の根幹は、”意識”の否定だ。だが、その理念を覆すような存在が現れた。それが君たちだ」
コンクリートのオブジェめいたベンチに腰掛けたまま、宮本氏は言った。
「君たちの行動は不可解だ。どう不可解なのか、言葉にできないくらい不可解だ。行動主義心理学が否定する、”意識”が間違いなく存在するかのようだ。私は、君たちの意識、自発的な行動、そして、音楽というものを心の底から楽しんでいる現象に興味を持った。それを分析し、君たちを上回る創造力を持ったAIを創ろうと思った」
空恐ろしい事を、平然と宮本氏は吐露した。そんなことを考えていたのか。
「だから、コンペで自身の作品と私達の楽曲を、競わせようとしたんですね。その前には、仁藤和也氏をけしかけて、私達に模倣バンドをぶつけてきた。ゴーストライター疑惑も、元を辿ればあなたの発案ですね」
「そうだ。行動主義心理学に基づいて、世間には一定数、君たちの成功を妬む層、そして女性蔑視や年少者蔑視の観点から、君たちを差別的に捉える層がいると推測した。彼らを”一致団結”させるためにはどんなダミーの情報を流せばいいか。AIが弾き出した結論が、ゴーストライター疑惑だった」
「…教授、ひとつよろしいですか。いまのあなたの供述が真実であるなら、私達が今、警察に駆け込めばどうなると思いますか」
信じがたいものを見るような目で、クレハがスマホの録音アプリが稼働している様子を宮本氏に示した。氏はまたも、寂しいような笑みを浮かべた。
「君がこの会話を録音する事くらい、AIに訊かなくてもわかっていたよ。警察に行きたいなら、そうしたまえ」
なんなんだ。もう、自暴自棄になっているという事か。教授は言った。
「だが、いまの君たちは、少なくとも明後日まではそんな行動には出ない。明日は大事なライブが控えている。その前日に、面倒事をわざわざ起こすつもりはないだろう」
「おっしゃる通りです。それに正直に言うと、明後日以降も私達が、あなたを訴える事はないでしょう」
「なぜだね」
「あなたを打ち負かしたところで、私達が得るものは、特にないからです」
クレハは、録音アプリを停止してみせた。
「宮本教授。もし、私達があなたを赦す、といったら、信じますか」
その言葉に、宮本教授の表情が変わった。
「どういう意味だね」
「言った通りの意味です。ゴーストライター疑惑からの一連の全てを、赦すということです」
「それは行動主義心理学には、ほとんどあり得ない。人間は他者の罪を罰さずにはいられない」
「では、私達がその例外を示してみせましょう。それでいいわね、ミチル」
クレハに訊ねられ、ミチルは少し戸惑ったあと、宮本氏の前に進み出た。
「あなたを赦す事は難しい。それは確かです。私達は、ネットでの多くの誹謗中傷に晒され、ショックを受けました。できるなら、今ここで謝罪の言葉をいただきたいところです」
「それなら、そうしたまえ。私には謝罪する用意がある。コンペに応募した楽曲も取り下げよう」
「それは無用です。私達は、応募したからには正々堂々と、他の参加者たちと競いたいからです」
「正々堂々か!」
呆れたように、宮本氏は吐き捨てた。
「それが何になる?理念、信条など単なる妄想にすぎん。我々が感情だと思っているもの、その全ては幻想だ」
「なるほど。では、音楽に感動する事も、幻想だと?」
「その通りだ」
「わかりました。少々お待ちいただけますか」
ミチルは突然財布を取り出すと、呆気に取られるクレハ達と教授を置いて、さっきジュナ達が入った百均ショップへと向かった。
ミチルは、ひとつの品物を持って戻った。教授は相変わらずベンチに座っている。
「教授。警察には駆け込みません。ただし、ここで私の指示にひとつだけ、従ってもらいます」
そう言ってミチルは、買って来た品物の封を開けた。ブリスターパックから取り出したそれは、ステレオイヤホンだった。
「教授。今から私がスマートフォンで聴かせる音楽を、最後まで聴いてください。約束できますか」
「それが私を赦すことの代償という事かね」
「そうです」
「私を音楽で感動でもさせよう、というのかね。安っぽい発想だが、いいだろう」
教授は笑うでもなく答えた。ミチルは自らのスマホにイヤホンをつなぐと、サブスクでひとつの楽曲を検索した。
「教授、あらかじめ言っておきますが、この曲は18分59秒あります」
さすがに、それにはギョッとしたようだった。というより周りのメンバーも、マヤを除いて若干引いている。そんな長い曲を聴かせるつもりか。クラシック、あるいはプログレでも聴かせるつもりか、と考えているのかも知れない。マヤだけはその時間を聞いて、何の曲かすぐ悟ったように苦笑していた。
「では、教授。よろしいですね。絶対に最後まで聴いてください。そのベンチを立つ事は許しません。もし逃げたら、その時は私も警察に行きます」
だいぶ強めの脅しだったが、教授は無言でイヤホンを受け取り、チャンネルの左右を確認して耳にはめた。それを確認すると、ミチルはおもむろに再生ボタンをタップした。
シークバーが動き始め、1分ほど経ったところで、宮本信一郎教授の表情に変化が起きた。明らかに動揺を覚えている、それまで見せなかった表情だ。それを見たジュナ達も、怪訝そうにミチルを見た。
さらに1分、また1分。時間が経つごとに、教授の目がぐるぐると回り始めた。呼吸も荒くなり始めている。視線は周囲を見回し、明らかにこの場所から立ち去りたい、と思っているようだった。だが、ミチルは容赦なくその目を睨んだ。逃亡は許しません、と。
再生時間が4分40秒くらいに差し掛かったところで、教授の上半身がびくりと動いた。さすがに、クレハやマーコには不安の色が浮かぶ。一体、何を聴かせているんだと、マヤ以外の3人がスマホを覗き込んだ。そこに表示されている楽曲の題名は――――
武満徹、”November Steps”。