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祖母と手紙と1万円

毎週末、祖母へ手紙を書いた話。
(写真は昨年のお花見で、娘が祖母にプレゼントしていた桜の花びら)


祖母

私の祖母は、大正生まれの97歳。

若いころ女学校の先生をしていて、その頃から90歳になるまで、ずっと趣味の踊りを続けていた。元気で、声が大きいおばあちゃん。
毎日寝る前にカーラーを巻いてくるんとさせた、まっくろなショートヘアー。
10年以上前、私の祖父にあたる夫を亡くしてからは、ずっとひとり暮らし。

祖母は、ひ孫にあたる私の娘に”りんりんばーちゃん”と呼ばれている。
由来は、娘が産まれてすぐ、リンリンと鳴る鈴のおもちゃを持って来てくれたから。
娘はよく泣いていたけど、その鈴がリンリン、と鳴るとほぼ泣き止んだ。そして音の鳴る方をじっと見たあと、嬉しそうに足をばたつかせた。



祖母と娘

娘を連れて祖母に会いにいくと、目尻を垂らして迎えてくれる。
祖母の家にあるものは我が家にないものばかりで、娘の目は、何度訪ねても興味と期待できらきらと輝いた。

手始めに、亡くなった祖父のそろばんに頰を滑らせてよだれをつけた。
輪ゴム入れになっていたブリキ缶は、角を凹ませて閉まらなくなった。
祖母が千代紙で作ったえんぴつ立ては、入れてあるペンを全て放り投げられ、娘の折り紙入れになった。
従姉妹が昔使っていた地図帳や漢字ドリルは、色鮮やかなクレヨンでぐりぐりと線や丸を描かれた。

その度に私は娘を止めようとするけれど、祖母はそれを制して「ええけ、ええけ、好きにやらせんさい」とにこにこする。


さようならの時、祖母は私たちの姿が見えなくなるまで、玄関から見送る。
祖母の家の前の通りは長い一本道。祖母は5分ほど立ちっぱなしになる。見送らなくていいよ、と何度お願いしても、頑固な祖母は首を縦に振ってくれない。
「ええけ、ええけ。目の届く範囲で事故にでもあったら、おばあちゃん死んでも死に切らんけえ」
そう言って、大きく口を開けてわははと笑う。

でも、私は知っている。
祖母はずっと前「同じ姿勢だと関節が痛むんよね」と、丸く浮き上がった膝をそっと手でつつんでいた。シミの入った、骨ばった手。窓から差す光が祖母を照らし、手のシワの溝を深く見せた。
その膝に私は手を重ねた。手の重みで壊れてしまわないよう、ゆっくり、ゆっくり、祖母の膝をさする。

そんなことは知らず、娘は、祖母が豆粒のように小さくなるまで何度も何度も、振り返る。
娘が大きな声で「りんりんばーちゃん、ばーいばーい!」と叫ぶたび、祖母は何度も何度も、手を振ってくれた。



悲しみのスマートフォン

2月末、夕食中にブブ、とスマートフォンが鳴った。だれのでんわ?と聞く娘に、りんりんばーちゃんよ、と言いながら電話を取った。
全国の学校が臨時休校になる、と緊急事態宣言が出された日だった。
じわじわと忍びよる脅威が不安で、娘の声が聞きたくなったという。
スピーカーにすると、娘は「りんりんばーちゃん、こんばんはぁ」と、言った。

元気?ごはん中かね?なあに食べてるの?と祖母の声が聞こえる。
久しぶりに聞く娘の声に気持ちがはやるのか、いつもより少しだけおしゃべりが早い祖母。そして、口を開くも返事ができず、もじもじしている娘。ついには下を向いて、スプーンでカレーライスのにんじんをつつきはじめた。うまくコミュニケーションを取れず、機嫌を損ねた様子だった。

3歳の娘は、まだ電話に慣れない。


10分ほど話をして、また電話するね、と通話を切る。急に静かになったスマートフォンを見つめた。

「コロナウイルスが怖いし、寂しいけど、当分会えんね…」
そう言った祖母の悲しみを帯びた声が、頭にジンジン響いていた。

祖母の家とはバスで15分ほど。近くに住んでいるのに、会いに行くのは1ヶ月に1、2度だった。もっと会いに行けばよかった。なんて、この時期誰もが感じたことを、私もぐるぐると考えた。



今できること

ぽつ、ぽつと電話を思い返し、気づけば自分で罪悪感の畑を耕していた。じわじわと、今更どうしようもない″後悔″に湧き、心にぼんやりと黒い穴を作った。なんとか、断ち切りたい。

会えないときに、できることって何だろう。

せめて、こちらが元気であることを伝えたい。
毎日、電話してみようかな。きっと祖母は娘の声を聞きたがる。けれど、娘に苦手意識がある電話を無理強いしたくない。

真っ黒なコーヒーを入れたグラスを持って、ゆらゆらと揺らす。透明な氷が軽くぶつかる。

お、そうだ。

グラスがカラン、と音を立てた。

年賀状で余ったハガキを切手に交換したばかりだった。

そうだ、手紙を書こう。

1週間後の金曜日、祖母への手紙を投函すると決めた。



写真と手紙

その日から、毎日1枚写真を撮った。娘の顔を見れない祖母はきっと喜ぶ。手紙に同封することにした。
幸い我が家にはLeicaのSOFORT(FUJIFILMのチェキと同じインスタントカメラ)があり、簡単に現像ができた。
白いフチに、黒い油性マジックでタイトルと日付を書く。

迷路のドリルをしている娘。パジャマで髪がぼさぼさの娘。近くの公園で蟻を観察する娘。粘土で遊ぶ娘。コーヒー屋さんごっこをする娘。祖母にもらった本を読む娘。娘が撮った、ソファでくつろぐ私。

投函予定の金曜日、1週間忘れず撮り続けた7枚の写真を机に並べて、ちょっとした満足感に浸る。


さあ、次は手紙。
とはいえ、何を書こう。うーん、と唸っていると、娘が隣の椅子にちょこんと腰掛けた。

「何してるの?」
 りんりんばーちゃんにお手紙書こうと思って。
「えー!おてがみ?娘ちゃんもする!」

クレヨンと画用紙を持ってきた娘は、大きな丸や線を描きはじめた。「シールも貼っちゃお〜」と言いながら、動物のシールをペタペタと貼っていた。

その横で、私はスマートフォンで手紙の下書きを打つ。

おばあちゃんへ
こんにちは。年賀状以外で手紙を書くのは初めてなので、少し緊張しています。「なかなか会えなくなるね」と電話をした日から、毎日1枚写真を撮りました。それを入れて送ります。びっくりしてくれていたら嬉しいです。
お散歩や、お友達とのおしゃべりや、お買い物など、おばあちゃんの楽しみが少し減ってしまうかもしれないけど、毎週末、写真を入れて手紙を書くので、減った楽しみを埋めることができればいいなと思います。
私が、りんりんばーちゃんに手紙を書くというと、娘ちゃんも書く、とクレヨンを手に取って絵を描きはじめました。その絵を一緒に送るね。なんか動物園みたいだよね。
これから毎週金曜日に投函するね。たまにずれてしまったらごめん!
少しでも、楽しんでくれますように。それでは、また来週!
麻より

いざ打ってみると、子どもが書いた手紙のようで、恥ずかしい。

感嘆符、使っていいかな。話し言葉って嫌かな。

ごちゃごちゃ直したい気持ちが湧いてくるけれど、祖母はきっと許してくれる、と言い聞かせた。

祖母に送る手紙は、万年筆で書くと決めていた。うっすらと罫線の入った便箋を前に、黒い万年筆のキャップをくるくると外す。

息を吸い込んで、きゅっと口を縛った。

ペン先が紙に触れ、じわり、とブルーブラックのインクがしみる。万年筆を介し、私の心を便箋にどくどくと注いでいるようで、握る右手がびりびりと痺れた。

不安でいっぱいになっていませんか?
今は我慢しないといけないけど、きっと明るいニュースがあるよ。
受け取とった手紙をみて、喜んでくれますように。
私たちは、ぼちぼち元気にやっています。
おばあちゃんに、とっても会いたいです。

たくさんの気持ちが溢れ出さないよう、ゆっくりとペン先を滑らせる。



娘とポスト

つい、文字を書くことに熱中していた。
バン、バン、と重い音が聞こえ視線を上げると、娘がソファの下へ本を投げ込んでいた。あまりに荒っぽかったので、慌てて理由を聞いた。
「ポストにお手紙入れるれんしゅうしてるの!」
ソファの下を覗くと、何冊もの本が無造作に重なっていた。
「りんりんばーちゃんのお手紙は、娘ちゃんがポストに入れるからね!」
練習は、本棚が空になるまで続いた。

そんな、期待に満ちあふれた娘と、ポストへと歩く。娘の手には、写真7枚、娘の絵1枚、便箋2枚が入り、少し膨らんだ封筒。
ポストに着くと、封筒は娘の左手でくの字になっていた。落とさずに持ってこれて偉かったねと褒め、まっすぐに伸ばしてからもう一度娘に渡す。
両脇を持って、投函口の高さまで娘を持ち上げる。
「すとん!」
娘の声とともに、封筒は赤いポストへ吸い込まれた。娘は真っ黒な投函口へぐっと顔を近づけて覗き込みながら、私に聞いた。

「もう、届いたかな?」



それから

毎週金曜日に送るね、と伝えた手紙は、土曜日になったり、月曜日になったりした。結局、3ヶ月で12通になった。

祖母は、手紙が届くととても喜び、届くたびその日の夜に電話をくれた。
「ほんに、びっくりしたわあ〜!」
コロコロと笑う祖母はとても可愛らしい。ありがとう、と聞くたびに、私と娘は恥ずかしくなって、えへへと笑った。
12通目の手紙を送った時には自粛期間が明けていたため、会う約束をして電話を切った。



祖母と会う

6月、娘とふたりで祖母に会いに行った。
祖母の姿が見えると、娘が、おーい!と大きな声を出す。駆け寄ろうとするのをそっと制す。祖母と私たちは、2メートルくらい開けて会おうね、と約束していた。

玄関に、祖母が少し腰を曲げて立っていた。

「りんりんばーちゃーん!娘ちゃんだよー!」

きっと、会うことを楽しみにしている。
そう聞かされていた娘は、自分の存在を見せようと大きく手を振る。

「娘ちゃーん、大きくなったねえ」

祖母は、メガホンのように両手で口を覆い、ありったけの声を出してくれた。3ヶ月会わなかっただけなのに大きくなったかな、と思ったけれど、そういえばその間に娘は身長が3センチのびていた。子どもの成長ははやい。
けど、本当のことを言うと、私だって祖母が少しだけ小さくなったように感じた。祖母に寄り添う老いも、同じようにはやいものなのかもしれない。
祖母と会えた安堵と得体の知れないもの悲しさは、私の心をざわつかせた。2メートルの距離が、近くて遠い。

「麻ちゃん、これ」

見ると、祖母はの手元には私たちが送った12通の手紙があった。両手でぎゅっと、力を込めて握っている。上の方の手紙は角が少し上を向いていた。

「これ、ほんと、ありがとうねぇ」


「はじめほんに、びっくりしたわいね。毎週、送ってくれるって書いてあって、楽しみで、楽しみでねぇ。お手紙なんて、久しぶりにもらったよね。それが、孫とひ孫からなんて、もう、ねぇ…。」

だんだんと、声は小さくなり、絞り出すように紡ぐ祖母の声は、かすれ、震えていた。垂れた目蓋で昔より細くなった目。じわりと涙が浮かんだ。それは、瞬きとともに目尻のシワに沿って流れた。

「おばあちゃんね、生きてて良かったと思うたよ」

はじめて見る祖母の涙に鼻の頭がツンとする。



ばいばいの後に

娘は、飛んだり跳ねたり、道に寝転んだり、とにかく動きまわり、祖母をころころ笑わせた。
会って姿を見るって、やっぱり全然違うね。そう言い合った。

6月なのに気温が30℃を越す日だった。
今日は暑いし、私が家に入るのを見送るね。と言うと、「はーいはい、わかっとるよ」ふふふ、と笑いながら祖母が答えた。珍しい、いつもは頑なに見送ろうとするのに。安堵して祖母の背中を見送る。
玄関のドアを開け家に入ろうとする祖母が、振り返って私に言う。

「おばあちゃんが家に入ったら、ここのポスト見てぇね。絶対よ」

なんだろう、と思いつつも、はーい、と返事をして、もう一度手を振り、祖母は玄関の鍵をガチャンと閉めた。


楽しかったね。娘にそう話しかけながら、ポストの中を見る。中には1通の手紙があった。

宛名の部分に、”帰って読んでくださいね”と書いてある。

「何が入ってるの?」と聞く娘の声が遠く聞こえた。なんだろう、なんだろうね。うわ言のように繰り返した。

祖母から、初めての手紙だった。



開封

さり、さり、さり、と、はさみで丁寧にフチを切る。娘ははさみの動きをじっと目で追う。ぱさり、と切れ端が落ちて、2人で中を覗き見る。

そこには、祖母からの手紙と、綺麗な1万円札が入っていた。

お金?1万円?なんだ、なんだ、と手紙を読む。
そこには、毛筆で、流れるような文字が連なっていた。

手紙のお礼、届くたびに祖父の仏壇へ見せに行ったこと。会う約束をしたけれど、離れて会わないといけない。あまりおしゃべりができないかもしれないと思って、筆をとったこと。そして、一緒に入っていた1万円札のこと。

同封したお金は、切手代と、おばあちゃんの気持ちです。手渡すと受け取ってもらえないかもしれないので、手紙にします。貴女と夫さんと娘ちゃんで、楽しい時間をお過ごしください。
おばあちゃんを楽しませてくれた時間のお返しです。いただいたものは、この1万円では全く足りないけれど。いいお肉を買って、ステーキなんて、どうでしょう?ビックリのお返しができていますように。


うう、と口から漏れた。粋だ。

そして、祖母からはもらってばかりだと、やっと気づいた。

もらったもの

娘は、祖母に送るためにたくさん絵を描いた。
初めは絵というには拙い丸と線だったのが、次第に丸をいくつも重ねて顔を描いた。色を重ねて髪の毛を描いたりもした。最後には、「りんりんばーちゃん、描いたげる!」と得意げに似顔絵を描くまでになった。

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そして、手紙に書いてほしいとたくさんのチャレンジをした。苦手なキャベツを食べた。お手伝いでお米を研いだ。小松菜を洗った。床の拭き掃除を手伝ってくれた。クッキーの型抜きをした。他にも、書き切れないほどたくさんの挑戦をした。


私はといえば、2通目を送って以降、書写の本を買って文字の書き方をいちから練習をした。3ヶ月ほど、毎日30分練習した。上達、していると思いたい。

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毎日、写真を撮った。その習慣はこれからの生活を彩ってくれる。

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今度は、私から電話をする。
プププ、プププ、と電話が繋がるまでのコールがもどかしい。

何から伝えよう。まずはピンと綺麗なこの1万円のお礼から。


きっと祖母は、「ええけ、ええけ」と、よく知った声で笑う。



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