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サンタクロースは、まぎれもなく娘なのだ。

12月初旬、3歳の娘は悲しんでいた。

「12月になったのに、サンタさん、まだ娘ちゃんのところに来てくれないんだよね」

寂しそうに眉毛を八の字にして言うものだから、私は焦ってアドベントカレンダーを購入した。

毎日1つずつ、この枠をあけるよ。
最後の「24」をあけた日の夜、サンタクロースがプレゼントをくれるよ。

真剣な顔で、うん、うん、と言いながら説明を聞く娘。
紺色のそれを手渡すと、両手でしっかりと抱きしめた。



毎日、大嫌いな歯磨きを終えると、アドベントカレンダーをひとつあける。

カレンダーの中には、2センチほどのカラフルな消しゴムが入っていた。
冬にちなんだ、雪の結晶、クリスマスツリー、サンタクロース、トナカイ。
全く関係のない、さる、テニスボール、ぱんだ、フクロウ。
一日ひとつ、小さな枠からぽろりと飛び出す。

娘は、何が出てきても少し驚いた表情をした後、嬉しそうに笑う。
そして夫や私の目の前へ、握りしめた消しゴムを「みて!」と誇らしげに掲げる。

「サンタさん、あともう少しだね」

そう呟く娘の頭を撫でると、その消しゴムを大切そうに小さな手で、ぎゅっと包み込むのだ。



クリスマスを意識するのは何年ぶりだろう。

夫とともに過ごす約10年間、クリスマスを強く意識することはなかった。

なんとなく、一度だけイルミネーションを見に行った。
お互い欲しいものがあれば、プレゼント交換をした。
ケンタッキーが無性に食べたくなって、笑いながら長蛇の列に並んだ。
残業続きですれ違う中、コンビニでケーキを買って帰ると同じものが冷蔵庫にあった。

ぽつ、ぽつ、とそれらしい思い出はある。どれもその一瞬は楽しかった。
けれど、ぱっと咲いて消えてゆく夏の花火のように、12月の一部を切り取った記憶の断片。


クリスマスをどきどきしながら待っていたのは、小学生の頃までだった。
理由は明確。その頃まで、私のサンタクロースは、枕元にプレゼントを置いてくれていたから。

12月に入るとそわそわして、25日の朝を指折り数えた。

毎日、寝る前に窓の横で願った。
毎日、アドベントカレンダーに人差し指を突っ込んだ。
毎日毎日、サンタクロースのことで頭がいっぱいだった。
終業式ぎりぎりまで、同級生とサンタクロースは親か否かで揉めた。

日に日に街がクリスマス色へと変わるように、私の心もじわじわと染まってゆく。

24日は、まだ受け取ってもいないプレゼントのお礼を手紙に書いて、枕元へ置いた。
サンタクロースが疲れているかもしれないから、手紙の横にお茶のペットボトルを並べた。

待って、待って、ずっと待って待ち焦がれて、目を開けた25日朝。
天井を見ながら、どきどきと高鳴る胸。

あのときの気持ちを、これから娘は、きっとこれから何度も味わう。



そして私は、クリスマスを待ち焦がれるあの気持ちを、ふつふつと期待が募るあの感覚を、今、数十年ぶりに味わっている。

娘が、アドベントカレンダーの消しゴムを私に見せてくれる。
その笑顔を見て、25日の朝を想う。

手を繋いで散歩をしていると、庭先に小さなサンタクロースがいた。
娘は「サンタさん!娘ちゃんがもらうプレゼント、なにかな〜」と言う。
その横顔を見て、25日の朝を想う。

テレビのCMで、三角帽子の赤い服を着た女優が踊る。
「これって、サンタさんのかっこうだよね!」
驚く顔を横目で見て、25日の朝を想う。

25日の朝、枕元にあるプレゼントを見て、娘はどんな反応をするのだろう。
娘が「クリスマス」に反応するたび、私はその朝を想っては、期待を募らせている。

驚くだろうか。
平然とするだろうか。
何か言うだろうか。
なにも言わず、包み紙を開け始めるだろうか。

そしてサンタクロースが持ってきたプレゼントの中身を見て、娘はどんな顔をしてくれるのだろうか。

クリスマスへ期待を寄せる娘を見ると、プレゼントをもらっているのはどちらなのかわからなくなる。

幼い頃に、サンタクロースからもらっていたあの気持ちを、私は娘を通して、きっとまた何度も味わう。


今の私にとって、サンタクロースは、まぎれもなく娘なのだ。




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にわのあさ
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