年に一度、家族のアルバムをつくって思い出話をする。
ここ数年、年末の休暇に、その年撮影した家族写真を整理している。
今回で4度目となり、すっかり夫と私の恒例行事となった。
整理した写真は、写真屋さんで紙に印刷をして、アルバムにする。
データ化した写真はとっても扱いやすい。
スペースを取らず、たくさんの写真を残すことができる。
ディスプレイで拡大してみることができて、動画だって残すことができる。
メールやSNSで、簡単に送り合ったりもできる。
けれどこれまで、その高く積もったデータを見返す機会を、私はなかなか作ることができなかった。
そこで、娘が生まれる前に、夫婦でルールを決めた。
娘の、家族の写真は、データに埋もれさせたくない。
年に一度印刷に出して、家族アルバムを作る。
途中で投げ出さないよう、娘がお腹にいるときに、10年分、つまり10冊のアルバムを買った。
◇
娘を寝かしつけた後、コーヒーを2つ用意する。
寒い、寒い、とブランケットにくるまる。
椅子を並べて夫とふたり、パソコンの画面を見つめる。
この時間も、今年で4度目となった。
印刷する枚数の目安は、アルバムに収まりきる300枚。
300枚、というと多く見えるけれど、月になおすと25枚。
意外と、そうでもない枚数になる。
夫と相談しながら、その25枚を決めていく。
印刷するものは別のフォルダにコピーしてうつしてゆく。
2020年1月、アルバムに入れる最初の月。
娘と夫と3人で初詣へ行った時の写真がはじめに出てきた。
「あ、この娘ちゃん、ちょうど1年前だよ」
そう言って、夫は目尻を垂らしている。
1年前の娘は、なんだか頰がぽてっとしていて、今とは少しだけ顔つきが違った。
お賽銭箱の前にある、ガラガラと音のなる本坪鈴。
天井近くにある鈴を見上げながら、垂れ下がった大きな縄を、小さな手できゅっと掴んで、カメラを見ている娘が写っていた。
あ、その前のお正月は音にびっくりして鳴らせなかったけど、2020年はできたんだよ。その後、お賽銭箱の前で私たちの真似をしながら、礼をしたり、拍手をしたり、ちゃんと参拝してたよね。
そう話すと夫は大きく頷き、「これは印刷しよう」と、フォルダに入れる。
お神酒のかわりに、といただいたカルピスを飲む娘の写真。
赤い袴をはいた巫女さんから、おずおずとかわらけを受け取っていたのが懐かしい。カルピスを入れてもらったね。ごくり、と飲んだ後、顔を輝かせながら「もういっかい、いる!」と言ったね。
そう話すと夫は大きく頷き、「これは印刷しよう」と、フォルダに入れる。
大吉のおみくじを、こちらに見せてくれる娘の写真。
やったね、大吉だね、と声をかけると、「だいちちってなに?」って言うから、一番運がいいんだよって答えたよね。喜びすぎて「いちばん!やったー!」と言いながらツーステップを踏んでいたよね。
そう話すと夫は大きく頷き、「これは印刷しよう」と、フォルダに入れる。
◇
ひととおり見た後、夫か私、どちらかがいう。
もう、全部じゃん。
そう言いながら、娘が寝ている部屋の方をちらりと見て、ふたりで声を落として笑う。
開始から数時間は、全然選べなくって、ただただ思い出話に花が咲く。
夫と娘がふたりで出かけた時の写真を見返して、私の知らない娘の話を聞いたりする。
この表情、娘ちゃんよくしてるよね。そう言って、数秒その写真から目が離せなくなったりする。
突然胸がきゅっとなって、写真を選ぶ手を止め、ふたりで娘の寝顔を見に行ったりする。
昨年のアルバムを開いて、2年前はこうだった、と、笑って涙を流す。そして、去年も同じ話をしたと、また笑ったりする。
選ばなければいけないのに、つい、昔話ばかりしてしまう。
娘がくれたたくさんの気持ちを思い返す時間になる。
写真を見ていると、その時の記憶や、景色や、音や、匂いがパチパチと弾けるようによみがえる。
一瞬を切り取ったその1枚を見ると、その空間に引き寄せられてしまう。
引き寄せられて、懐かしいだの、可愛いだの、愛しいだの、そんな娘への気持ちを、くりかえし感じてしまうのだ。
◇
10年分のアルバムは並べて置いている。
今、写真が入ったアルバムは3冊。
その隣には、未来の私たちを入れるための7冊が、新品のまま並んでいる。
これから先も、差し込む思い出がたくさんありますように。
年に1冊増える、家族アルバムの話。
(写真は2歳の頃のもの。2歳の夏は、半分以上後ろ姿だった。走り回る楽しさに目覚めた夏でした。)