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年に一度、家族のアルバムをつくって思い出話をする。

ここ数年、年末の休暇に、その年撮影した家族写真を整理している。
今回で4度目となり、すっかり夫と私の恒例行事となった。
整理した写真は、写真屋さんで紙に印刷をして、アルバムにする。

データ化した写真はとっても扱いやすい。
スペースを取らず、たくさんの写真を残すことができる。
ディスプレイで拡大してみることができて、動画だって残すことができる。
メールやSNSで、簡単に送り合ったりもできる。

けれどこれまで、その高く積もったデータを見返す機会を、私はなかなか作ることができなかった。

そこで、娘が生まれる前に、夫婦でルールを決めた。

娘の、家族の写真は、データに埋もれさせたくない。
年に一度印刷に出して、家族アルバムを作る。

途中で投げ出さないよう、娘がお腹にいるときに、10年分、つまり10冊のアルバムを買った。



娘を寝かしつけた後、コーヒーを2つ用意する。
寒い、寒い、とブランケットにくるまる。
椅子を並べて夫とふたり、パソコンの画面を見つめる。

この時間も、今年で4度目となった。

印刷する枚数の目安は、アルバムに収まりきる300枚。
300枚、というと多く見えるけれど、月になおすと25枚。
意外と、そうでもない枚数になる。

夫と相談しながら、その25枚を決めていく。
印刷するものは別のフォルダにコピーしてうつしてゆく。


2020年1月、アルバムに入れる最初の月。
娘と夫と3人で初詣へ行った時の写真がはじめに出てきた。

「あ、この娘ちゃん、ちょうど1年前だよ」

そう言って、夫は目尻を垂らしている。

1年前の娘は、なんだか頰がぽてっとしていて、今とは少しだけ顔つきが違った。

お賽銭箱の前にある、ガラガラと音のなる本坪鈴。
天井近くにある鈴を見上げながら、垂れ下がった大きな縄を、小さな手できゅっと掴んで、カメラを見ている娘が写っていた。

あ、その前のお正月は音にびっくりして鳴らせなかったけど、2020年はできたんだよ。その後、お賽銭箱の前で私たちの真似をしながら、礼をしたり、拍手をしたり、ちゃんと参拝してたよね。

そう話すと夫は大きく頷き、「これは印刷しよう」と、フォルダに入れる。


お神酒のかわりに、といただいたカルピスを飲む娘の写真。

赤い袴をはいた巫女さんから、おずおずとかわらけを受け取っていたのが懐かしい。カルピスを入れてもらったね。ごくり、と飲んだ後、顔を輝かせながら「もういっかい、いる!」と言ったね。

そう話すと夫は大きく頷き、「これは印刷しよう」と、フォルダに入れる。


大吉のおみくじを、こちらに見せてくれる娘の写真。

やったね、大吉だね、と声をかけると、「だいちちってなに?」って言うから、一番運がいいんだよって答えたよね。喜びすぎて「いちばん!やったー!」と言いながらツーステップを踏んでいたよね。

そう話すと夫は大きく頷き、「これは印刷しよう」と、フォルダに入れる。



ひととおり見た後、夫か私、どちらかがいう。


もう、全部じゃん。


そう言いながら、娘が寝ている部屋の方をちらりと見て、ふたりで声を落として笑う。


開始から数時間は、全然選べなくって、ただただ思い出話に花が咲く。
夫と娘がふたりで出かけた時の写真を見返して、私の知らない娘の話を聞いたりする。
この表情、娘ちゃんよくしてるよね。そう言って、数秒その写真から目が離せなくなったりする。
突然胸がきゅっとなって、写真を選ぶ手を止め、ふたりで娘の寝顔を見に行ったりする。
昨年のアルバムを開いて、2年前はこうだった、と、笑って涙を流す。そして、去年も同じ話をしたと、また笑ったりする。

選ばなければいけないのに、つい、昔話ばかりしてしまう。
娘がくれたたくさんの気持ちを思い返す時間になる。

写真を見ていると、その時の記憶や、景色や、音や、匂いがパチパチと弾けるようによみがえる。
一瞬を切り取ったその1枚を見ると、その空間に引き寄せられてしまう。
引き寄せられて、懐かしいだの、可愛いだの、愛しいだの、そんな娘への気持ちを、くりかえし感じてしまうのだ。



10年分のアルバムは並べて置いている。
今、写真が入ったアルバムは3冊。
その隣には、未来の私たちを入れるための7冊が、新品のまま並んでいる。

これから先も、差し込む思い出がたくさんありますように。

年に1冊増える、家族アルバムの話。



(写真は2歳の頃のもの。2歳の夏は、半分以上後ろ姿だった。走り回る楽しさに目覚めた夏でした。)


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