春と魔法の話
春の花を見つけて、娘が私をあたためてくれた話。
◇
これ、なずなじゃない?
「なずなって、なに?」
ぽっと赤くなった娘の頬。冷たい風がひゅるりと撫でて、ニット帽からはみ出した髪の毛を揺らす。足元でなずなの茎が小さくしなる。
せり、なずな。ごぎょう、はこべら、ほとけのざ。すずな、すずしろ。
ぽかんとした顔でこちらを見ている。かかはなにを言い出したのか、と娘は思っているのだろう。
たまに、娘が思ったことは顔に書かれている。ぽっかりと開いた口に、マシュマロでも放り込んでしまいたい。
春の七草だよ。前に、保育園でも七草粥食べてたね。
1月7日、娘の通う保育園では、七草粥が昼食に出た。
それを聞いて七草を探しに川沿いを散歩したけれど、その頃はまだ、なずなは芽を出していなかった。
寒い寒い1月を越え、なずなは花を咲かせていた。
◇
「みて!なずな、小さなお花がついてるよ!」
相変わらず冷たい風に揺られながら、右へ左へゆらゆら揺れている。
「白いお花が、シロツメクサと一緒だねえ」
笑いかける娘を見ながら、私がシロツメクサを好きになった昨年の春を思い出す。
娘が産まれて散歩をする習慣がついた。
手を繋いでゆっくり河原を歩く。咲いている花やすずめの群、川に反射する太陽の光を見ては、娘と話をした。
昨年の春、河原にはシロツメクサが一面に咲いていた。
シロツメクサかわいいねというと、「かか、シロツメクサ好きなの?」と聞く。特別好きなわけではなかったけれど、子どもの頃、花冠を作ったことを思い出しながら「好きだよ」と言った。
翌日、娘は保育園からシロツメクサを1本持って帰った。
「かか、シロツメクサ好きって言ってたから、ほいくえんでもらってきたんだよ」
家に帰って慌てて靴を脱ぐと、リビングの隅でリュックのポケットをごそごそしている。「あった」という声を聞きながら、腕の中で娘をぎゅっと包む。
うれしい!すごくうれしいよ。ありがとう。
保育園で先生やお友達と遊んでいても、私のことを想ってシロツメクサを摘んでくれたのだ。シロツメクサを見て、昨日私が好きだと言ったことを思い出して。
そこに居ない、私を想って。
「でもさ、」
腕の中から浮かない声が聞こえる。一歩引いた娘が腕の中から離れる。
午前中の外遊びで摘んだのだろう。手元を見ると、娘が持つ茎はくったりしていて、白い花は重そうに頭を垂らしていた。
「でもさ、げんきがなくなっちゃった」
娘の目には、じわりと目に涙がにじんでいた。
差し出された手を両手で包むと、ふるふると震えている。
じゅうぶんだよ、娘ちゃんの気持ちがすごく嬉しいよ。かかの好きな花を覚えてくれて、ありがとう。
もう一度、3歳の娘にきちんと伝わるよう、ゆっくりと言葉を送った。
◇
鼻がツンとした。
こぼれそうな涙を誤魔化すよう、春の七草を歌う。
せり、なずな。ごぎょう、はこべら、ほとけのざ。すずな、すずしろ。
繋いだ手を、言葉に合わせて揺らしながら歩く。
娘を見ると、先ほど摘んだなずなを見ながら難しい顔をしていた。
七草の名前を覚えようとしているのかと思い、もう一度ゆっくり声に出す。
せり、なずな。ごぎょう、はこべら、ほとけのざ。すずな、
「あ!わかったー!」
言い終わる前に、娘は声を上げた。きらきらした目を私に向ける。
ふふ、と笑いながら、小さな手に、おいでおいでと呼ばれる。
娘の身長にあわせて腰をかがめた。内緒話をするように口を両手をおおう娘に、耳を近づける。娘の小指が私の耳たぶに触れて、ひやりとする。
ふ、ふふ、へへ、と娘は笑って、なかなか言い出さない。
なになに?と促すと、冷え切った耳にふわりとあたたかい息がかかる。
「それってもしかして、シンデレラの、びびで、ばぶで、ぶー!のことじゃない?」
思わず声が出て、笑ってしまう。娘も、ひひひ、と笑っていた。冬の間、笑えば白くなっていた息は、もうどこにも見えない。春が近づいている。
そうだね、春の七草って、びびで、ばびで、ぶー!みたいだね。
七草を読む音は、3歳の娘には魔法の言葉に聞こえたのだ。
フェアリーゴッドマザーの魔法で、かぼちゃは馬車に、ねずみは馬になる。
シンデレラはドレスを纏う。壊れそうなほど繊細な、ガラスの靴をつむぎだす。
娘のつむいだ魔法の言葉は、真まで冷えた私の体温を、くくっと上げた。