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君よ、正しい読書家を目指せ
ご存知か。
安いものにはワケがある。例えば、この本だ。「ミスター・ホームズ」という93歳になったホームズを描いた作品である。なかなかに興味深い設定だ。通りすがりの古本屋で見つけた。
この本、定価は1800円。だが、古本だから1200円。まだ、新刊に近い本である。それが600円も安くなっている。店側もすぐに売れると踏んで、外からでも見やすい場所に陳列していたのだろう。
確かに愚者は、すぐに飛びつく。「お得やんけ」と浅ましい笑みを浮かべながら、「出た時に買わへんでよかった、よかった、吉田松陰」などと大喜びする。
だまされてはいけない。
安いものにはワケがあるのだ。
古本には、例えばミステリーならば、必ず最初の方に「こいつが犯人」と落書きがしてあるのだ。さらに、クライマックスのページは切り取られ、途中のページには大量の鼻くそが付いている。
例え600円得をしても、それ以上に精神的ダメージは大きいのだ。
私のような豊富な経験と的確な判断力を持つ男は、そんな不潔なものは買わない。新刊で見つけた日に、例え、1800円という価格にびびりながらも、昼食を3食抜くことになろうと、ためらうことなく買うのである。
それが正しい読書家というものだ。
それを証明するために、私は、目の前の「ミスター・ホームズ」の古本を手に取った。鼻くそに注意しながら慎重にページをめくっていった。
だが、そんなものはなかった。私は、何度も本のページをめくった。しかし、鼻くそはおろか、折れたページすらなく、新刊案内の広告やしおりまで挟み込んである。
「なんじゃい、これは。新刊書とかわらへんやんけ」とショックのあまり、私は無意識のうちに大阪弁でつぶやいた。
「ああ、それ。昨日入ったばかりなんですよ」と店主らしき男が声をかけてきた。「それ、おもしろいですよ。まあ、歳をとったホームズの話ですから、ワクワクしたりはしないんですが。ミステリーと言うよりも文学ですかね」
「知ってる」と私は答えた。「3日前に定価で買って、もう読んだ」
「あ……」と店主が言いながら、かすかに笑みを浮かべた。「そりゃあ、バッドタイミングだ。じゃあ、値段を確認に? 私にも経験がありますよ。こういうの、くやしいですもんね」
何だ、この男は。傷に塩をすり込むようなことを言いやがって。
ムカッとした。思わず古本屋の通路にその本を置き、ページの中程に脱糞してやろうかと思ったほどだ。私が古本らしく汚くしてやろうか。
だが、自重した。
私は、店主に向かって、恨み、つらみ、怒り、哀しみなどのネガティブな思いをぶつける代わりに、「失礼する」とひと言つぶやき店を出た。この店には、二度と足を踏み入れることはないだろう。
ちなみに私は、子供の頃、ホームズシリーズを読み続け、彼から学んだ帰納法を駆使して、「どさくさに紛れて、ゆかりちゃんのスカートをめくったのは君だっ。丸山くんっ」などと犯人を追い詰めていた経験を持つ男だ。
「じっちゃんの名にかけて」とは言わなかったが。