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それだけの変化

変な授業を取ってみた。
前期の後半、夏の間の授業の一つだった。

所属する学部の違う学科のその授業で、取れる単位は二単位。
科目の一覧の下から6番目にあった。見つけてしまった。

本格的に暑くなり、ただでさえ大学に行くのが億劫になるのに、知らない場所に一人で入っていくのはもっと憂鬱。
なんて嘘だった。少しの緊張が、暑さや不安と調和してくれたようだ。
つまりは、新鮮な気持ちで、知り合いがいない知り合い同士の部屋のドアを開けた。

文化財について、歴史、建築、地域、いろいろな面から先生が話をしてくれている。流石に眠気が飛んだ四限目に丁度いい、楽しい話。

課題はクイズへの回答やアイデア、考えを書くものがほとんどだった。
本当に、何でも。

『この時代の門の閂がこんな形状になっているのは何故か。調べずに、想像してみてください。』
小さい頃に観ていたアニメに、門番の人がいた。一人で門の開け閉めをするなら、なるべく使う力が小さくて済むようにするはず。
そんな風に考えて答えを書いたら、ちゃんと正解していて凄く嬉しかった。

授業の間はずっと一人、それは問題ない。
ただ、たまに寂しくて、基本的には楽でいい。

難しい課題が出たとき、授業の前に一人の学生が話しかけてきた。
そこから課題ができていない人が集まって、やっとまともに話した人たちがいた。
これは、嬉しい。

最後の授業が終わると夏休み。
当たり前のように、この教室にいる人とは会わなくなる。

それから一年。
あの教室にいた学生とは一度も会って話す機会がない。
あの先生の姿も見ていない。

ただ、キャンパス内で当時声をかけてくれた子を見つけると、目が合ってふわっと笑顔を交わすことがある。

たまに、先生が話してくれた豆知識が意外なところで役に立って、にやけてしまうことがある。
いつのまにか、自由に考える自信を貰っていたことにも気が付いた。

知らない領域にと踏み出した一歩は小さいし、たった二単位のためだった。
その一歩で得たものは、経験と記憶だ。

あの教室の時間があったから、見つければ笑顔を向けたい人がいて、自由に考えることができる。

それだけの変化だけど、その積み重ねは人生そのもの。

そんなことを妙に強く感じたあの夏。

#一歩踏みだした先に

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