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「好き」と「だから」
好きだけど
私はずっと、一人称が自分の名前だった。
理由は2つ。
1つ目、「わたし」と口にするのがしっくりこなかったから。
2つ目、「ぼく」なら言いやすいと思っても、何だか口にするのが怖かったから。
私でも僕でも俺でも、そんな風に自分を呼ぶ姿は、いつになっても想像できなかった。
でも、ずっと「ぼく」と言うのが一番嘘がないと感じていた。
だから、
この数年、“多様性”が様々な場面で叫ばれている。
それは人も同じで、考え方や在り方のそれぞれを大事にしようと、し始めたところ。
ある人は、洋服のメンズ・レディースは気にしないと言っていた。
かっこいいからこのパンツを履くし、綺麗だからこのブラウスを着る。
好きだから、それを選ぶ。
多様性というとジェンダーばかりに焦点が当たるのはどうして。
心の大きな部分を占めるからだと、今は思っていたい。
好き、だから
「わたし」よりも、「おれ」よりも、「ぼく」がいいと思うから。
そんな単純な思いなのに、どうして外に出すことができない。
多分、自分自身が、ジェンダーを意識してこだわりすぎているから。
わたしがぼくを邪魔していたらしい。
自由に服をまとうその人を見ていると、自分も、周りの人のいろいろも許せるようになった。
○○だから、これ。○○だからこう。
ではなくて。
好きだから、これ。好きだから選んだ。
落ち感のあるワンピースを着たときは、柔らかく笑い、すっと歩くわたし。
フリルのブラウスにパンツを合わせたときは、静かな声で話して、踊るように歩くぼく。
本当にしっくりくるのは、こうやって日によって変わること。
まだ、「ぼく」と大きな声で言えないわたし。
それでも前より、自由になった。
好きだから
自分はこうだ、から、好きだからこれだ。
誰にも責められないし、むしろ幸せになった。
誰もが当たり前に「好き」を手に取れる。
そんな時代になったとき、思い込みなんて消えてしまう。