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潜み潜める古本屋
その古本屋は、全国各地の古本屋と違わず本棚や本の山によって狭く、すぐ近くの人の気配を消してしまう。日に焼けた本に見入るようならば、互いに相手の存在に気が付かないまま時間を過ごすなんてこともあるだろう。
ある日、私は店の角にある、三方を本棚に囲まれた位置に立っていた。その辺りにどんな本が並んでいたのかは覚えていないのだが、妙に装丁が美しい本が多かった気がした。そのせいで、私はしばらくの間そこから動くことができなかったのだ。一歩移動するだけでも何冊もの本を手に取ることができる。私の姿は、店主には見えていたのだろうか。そこにまだいることを分かっていたのだろうか。
途中で店に入ってきた客が店主に声をかけてから、その二人は意気投合したようで、当然小声ではあったが熱い話を繰り広げだした。それが何ともおもしろいのだ。これまた何を話していたのか忘れてしまったのだが、一言で言えば洒落込んだ対話であろうか。それが古本屋の空気をすっぽりと覆って、一方で古本屋の静けさが二人を彩って、午後のひとときに相応しい秘密めいた空間がそこにあった。そして、最もおもしろいのが、その秘密を知る私が本棚の隙間に隠れていることであった。この状況に気が付いた私は、棚から本を抜く音を極力殺していたのだから、完全に偶然の場面とは言えないのだが。二度、くしゃみをこらえた。
三十分の間、客と店主は立ったまま議論を行い、私は狭い範囲で何冊もの本を手に取った。選んだ本を購入するときには店主に気を遣わせてしまったようだが、私はすごく楽しかった。
これは本屋やカフェでしか許されない過ごし方だろう。それが本屋がなくなっていく原因でもあるのだが、本を買うこと以外の出合いがある見通しの悪いこの古本屋は、とてもいい店だと思う。