呼称に関して②

    呼称の問題は地味だけど社会を知る上で非常に重要な手がかりとなる。なぜかというと人と人の距離感・関係性をどのように構築するかが呼称に端的に表れるからだ。前回の文章で述べたように男女7歳にして席を共にせず!の区別意識が旺盛だった一昔前は他人の嫁の名前を呼ぶことがタブーとされていた。このような呼称のタブーは朝鮮王朝が儒教を取り入れた後の民俗であって前朝の高麗王朝時代にはなかった。高麗王朝時代の呼称の名残が何と脱北者の脱北談の中で見受けられる。僕は個人的に脱北者の自然な話しぶりに大変興味を持っている。脱北者の言語生活を見ていると、12世紀の呼称のみならず、祖先中心の系譜認識が普及する前の自己中心の系譜認識も見られワクワクする。祖先中心とは死んだ祖先を頂点において女系を切り捨てて男系のみを拾い上げる系譜認識で当然祖先を中心とした三角形の社会となる。「女系(母系、女兄弟)を切り捨てる」ということは特定の思想による裏付けが必要な政治的な行為である。 日本のように死んだ祖先中心の系譜認識ではなく、「生きている自分中心の系譜認識」、これを専門用語ではkindredという。訳語がないのでそのままキンドレットと書かれることが多い。キンドレットについて述べるのは次回以降に書くこととし、ここでは呼称の問題に集中したい。

 14世紀末に滅びた高麗王朝はキンドレット社会だった。北朝鮮からの脱北者が用いる呼称はキンドレット的な呼称体系なのだ。女性同士で「お兄様」といったり、おばさんを「おじさん」と呼んだりするのもおうだ。さらに、父系と母系を区分せず同じ呼称を用いるのもキンドレット的といえるはずだ。だったのに、朝鮮王朝に代わってからの呼称はまず男系と女系を厳しく分けることだった。家父長的な考えも実は朝鮮王朝期の考えであって、正確に言うと朝鮮王朝が成立してもすぐにはやはり百姓の旧慣が切り替えできなかった。当然といえば当然なこと。昨日までの習慣が今日からは新しい呼称を?といっても民は簡単には馴染めないのだろう。 では、なぜ北朝鮮に14世紀以前の呼称が残ってるのかは朝鮮王朝期に実施された移民政策のためと思うのが自然である。つまり、朝鮮王朝は辺境の国境を守るため、北朝鮮の元山港で知られる咸鏡道地域に慶尚道の百姓を強制移住させたのだ。今でも咸鏡道からの脱北者の言葉が釜山・大邱などで知られる慶尚道と同じアクセント、同じ言葉遣いが多いのには僕も驚かざるをえない。特に訛りがかなり似ているというか違和感がないことには脱帽したくなるくらいだ。

 また、話が逸れてしまった。戻そう! 韓国の国会議員(今回は??民主党議員)が議員同士で交わす会話を聞いてたいへん驚いた。時事ユーチューブチャンネルで与党の国会議員二人が検察改革について議論していた。(同じ与党議員なのに)「あなたは反対の立場なのか?」と聞かれると、「そんなことないよ。普段私は(法案に明確に賛成している)A議員を「お兄さん」と呼んでいる仲なので、反対するわけがないでしょう」という発言をしたのだ。選挙区民により選ばれ、地域を代表する議員が先輩議員を「お兄さん」と呼んでいる!これをどう見るべきか!? もう一例!今度は検察官同士でも「お兄さん」と呼んでいたというから驚きだ。

 朴槿恵元大統領の弁護士曰く、自分が検察官だった時、次期大統領の尹錫悦氏に対し、「お兄さん」と呼んでいたと自慢していた。2022年4月5日あたりの放送でそう「自慢していた」

 僕がなぜ「自慢していた」と書いてるかというと、「あの偉い方を兄さん呼ばわりできる間柄だよ!」という「特別感」が潜んでいるからだ。公務員とはいうまでもなく公務を担当する人間で、この組織に「私的な関係性」を持ち込むのは非常に問題が大きい。特に韓国社会にとってはどでかい問題で、韓国における権力型犯罪はほぼ例外なく、「公的関係をいかに私的な関係に持ち込めるか」ということに全神経が注がれているといっても決して過言ではない。「あの方は兄弟のような存在だから」と周りに誇示していて、実際見知らぬ金学義法務次官(本名は金學義)にビジネスパートナのインテリア設備会社の女性社長を「差し出した」事件はまだ温かい。尹はかなり初期から金学義検事長を「お兄さん」と呼んで「兄弟だから」と自分の嫌疑をもみ消してもらっていた。尹がまず女社長をレイプし、性行為の全過程を動画撮影し、これを餌に金学義法務次官に24時間体制で差し出していた。金学義法務次官も積極的に「私的な関係」を楽しんでいた。女を抱く阿房宮の場所が遠すぎるからといって、ソウルの検察局の近くにマンションの一室を借り、勤務時間中であっても「女を抱き続けていた」のだ。二人ともまさに鉄面皮。金学義法務次官(本名、金學義)事件は非常勤を務める大学で「教材」として詳細に分析している。ちなみに、パンティ1丁の金學義が女を抱いて踊っている鮮明な動画があるにも関わらず、「本人か特定できないので無罪」放免された。やはり韓国は面白い?「不正と腐敗の欲求が社会を引っ張る原動力」の意味が少し説得力を増してきたのだろうか?

 韓国には厳密な意味での「公」がない。公的関係を全国民が私的な関係へと持ち込もうとしているのだ。国会議員と検察官同士の関係においても「公的な関係」よりは「私的な関係性へと」即変質させてしまうのだ。北朝鮮でも韓国でも「あそこに知り合いはいないのか?」「線がないのか?」「バックがないのか?」としきりに確認作業が行われるのは有力者による「兄弟愛に満ちた私的な配慮」を渇望しているからに違いない。

 尹錫悦次期大統領の豊富な事例についても次回以降に委ねるが、「不正と腐敗の欲求」は韓国の負の文化なのだ。清い心の持ち主がいない。これは文化の呪いなのだ。なんでみんな社会と文化の分析に無頓着なのか?これ自体も文化であるから根が限りなく深いことは間違いなさそうだ。韓国よ!シャンペーン開けるのが早すぎたんだよ。いい加減に目覚め!!!

 「お兄さんの呼称防止法」「公的関係を私的関係に転換禁止法」でも立案しないといけないのか?!

 

 

 

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