【『学び合い』のあらゆる失敗はもう世に出ていた】
私は『学び合い』をこれで失敗し、これで乗り越えました。(西川純編著)を再読。
どうして昨年度の初めに読まなかったのだろう?
え、これ自分のこと??
と思うくらいリンクする内容がずらずら。
きっと、昨年度の初めはまだ「失敗」「やっちまった」という自覚がなかったのですね。
「まだまだ」「大丈夫だ」「なんとなかなる」
そんな、根拠のない自信。
認めたくない思いもあったのだなと思います。
無理してうまくいってる感を出して背伸びをしていました。
だから、このての本に向き合おうとしなかったのだと思います。
特に響いたのが、方法として『学び合い』を捉えてしまっていたこと。そんなのダメだとわかっていたのに実際にはそうでした。
『学び合い』をしていればうまくいく。
確かに集団は安定していますが、僕個人は不安定です。
焦りもあります。
『学び合い』をしいるわけですね。
また、目の前の子どもたちは違います。
どの子にも今まで通りやればうまくいく
自分にはその力があるという過信です。
また、方法論として捉えると
「関わってはいけない」というものに捉われます。
でも、一定の関係を築くために「聴く」「寄り添う」っていうことは場合によっては必要であったりもしますね。
また、『学び合い』になじめない子への不適切な対応
不安に思っている方への過度な説明説得もありました。
その結果やはりいい方向には進みませんね。
やはり、「ん??」と思ったら、人と語らい、本に戻ることが大切ですね。少しでも違和感を感じたら早く。
そんなことを考えた土曜日です!!