【テーマを与えてフリートークな道徳】
道徳がというか、今の子どもたちとあれやこれやと話すことがとっても好きな時間。
今まであんまり道徳ってピンときてなかったけれど、最近は単純に子どもたちが思っていることから学ばせてもらってておもしろい。
板書とか発問とかもちろん大切なんだろうけれど、普通に思ったことを話せる学級の雰囲気であるかが結構大切だと思う。
今のクラスの雰囲気は、自分がつくった物ではなくて元々の子どもたちのもつ雰囲気であったり、今までのご指導であったり、3年生っていう発達段階であったりで、ありがたいことにあれやこれやと話す雰囲気がある。
全員が全員話すわけではないけれど、友達から学ぼうとか、自ら学ぼうっていう力があるから、
ノートを見ると、ビッシリ自分の考えたことが書かれている。
言葉を発さなくとも思考して、思いを表出していることがわかる。
授業なんて大したものではなくて、ちゃんと研究している方には怒られそうだけれど、
その日のお話を読み聞かせて、単純にどう思うか話していくだけ。
テーマを与えて、あとはフリートーク。
どんどんその時思った素直なことを話していく。
それを「へ〜なるほどね、〇〇さんはそれどう思う〜?」
って聴きたい人にどんどんフっていく。
島田紳助的な、明石家さんま的な何かを憑依させて。w
#あくまでイメージねw
そんなおもしろい才能はないしまわしだって下手っカスだけれど、あくまでイメージ。
子どもたちには
「先生が勝手にあなたの話聴いてみたいな〜って思ったから、話をふるね!!でも、もし応えられなくても先生が勝手に聴いているから、先生のせいにしてOK!!逆に急に聴かれたのに応えられちゃったらそれは儲けもんでしょ?ノーリスクハイリターンさ!!」
と話しているので、結構しゃべってくれる。w
前回のテーマは「うわさ話」
おもしろいのが、最初は結構客観的な視点での話をするわけ。
単純にひどいと思ったとか。
辛そうだとか。
嫌な感じがするだとか。
しばらくすると、登場人物になりきって話が展開されていく。
仲良い人からの噂話だからなんか聴いちゃっているのかな とか。
なんか自分(主人公)もう噂信じて歌がちゃったみたいでもやもやすね とか。
でもある時から、「自分」がそのお話に出てくる人物かのように話が展開されていく。
もしそこにいたら自分も同じ気持ちかな〜とか。
やっぱ噂話って伝わるよね〜とか。
前に「内緒ね、」って話されたことあるけれど、その場だと「そんなことないよ!」とも言えないんだよー!!とか。
目線でも感じるよねとか。
噂話をされただけで、「ということは、自分もどこかで言われているのかな」と不安になるとか。
あるメンバーは、涙ながらに自分の経験を話す場面も。
僕的に道徳の時間に涙が流れた授業なんて初めてで感慨深い気持ちになった。
自分も仲のいい友達の悪口を耳元で聴かされて、でも否定も仕切れなくて・・・と。
教室の雰囲気がぐっと変わるのがわかる。
みんないつの間にかお話でもなく、そのメンバーの立場で物事を考え始めているのがわかる。
〇〇さんみたいなこと自分もあったからわかる。
自分でもそこ拒否できないな。
そのメンバーに寄り添い、辛かったよねっていう想いに共感しながらそれぞれの考えを話していく。
すると、後半は「お話の主人公」「自分」「思いを話してくれた仲間」様々な立場を行ったり来たり、行ったり来たりしながら話が交わされていく。
多角的な視点で物事を見るってこのことか?と思った。
知らんけど。w
〇〇さんみたいな気持ちだったんじゃない?この主人公も。
そう考えるとやっぱり自分もその場にいたらさ・・・みたいな感じで。
最後に
今日の話を振り返った。
「最初の感想は、お話を外から見てる立場での感想が多かったけれど、いつの間にか自分が主人公になってなかった?それどころか、自分自身がその場にいたらって考え始めたでしょ??さらには思いを吐き出してくれる仲間に寄り添い、その仲間の視点からまた考えを話していたことに気がついた???
こうやってあらゆる立場から物事を見るってことが、先生は道徳で大切なことがと思うんだよね。
あらゆる角度から物事を考えることで、これからの自分を問い直すきっかけになることに価値があると思うよ。」
と、少々価値づけて終了。
自分の気持ちをつらかったであろうに素直に話してくれた仲間への感謝、そのメンバーがいたから学べたことへの感謝、周りのメンバーも共感しつそのメンバーの経験から学ぼうと考えを深めたことの素敵さもフィードバック。
こんなにも、あらゆる角度からものを見て、自分を重ね、語り合う様子に素直に感動した道徳だった。