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兄と私

私には兄がいた。

「いた」という過去形なのは、兄はすでに他界しているからである。

ほとんど兄弟げんかもしなかったけれど、あんまり一緒に遊んだりしたこともなかったので、仲は良くも悪くもなかったと思う。
お互いに干渉しないことが不文律になっていた。


兄と私は、全てにおいて対照的だった。

兄は頭が良くて、いわゆる優等生。
定期テストでも、全国模試でも、必ず上位10位以内には名前を載せるほどの秀才ぶりだった。
しかも、社交的で友達も多く、受け応えはいつも模範回答で、とにかく従順だったので教師達からも好かれていた。
しかし、喘息持ちで病弱だったので、体育の実技だけは苦手だったようだ。

それに対して、私はその真逆だった。
子供の頃から風邪もひかない野性的な健康体だったが、学校の成績はいつも中の下だった。
テストでは、ろくに準備もしないわりには、そこそこの点数を取っていたとは思う。
内申点が低かった原因は、何よりも私の反抗的な態度だったのだろう。
ツッパリとかヤンキーとかのような分かりやすい不良ではなかったけれど、暗くて無口で自分勝手な人間だった。
黙って授業を度々抜け出しては、近くの公園や川原で昼寝していたりもした。
大人達からの叱責や忠告に対しても、無言で不服従を貫くようなタイプだったので、当然ながら教師達からも酷く嫌われていた。
集団行動が苦手で、協調性もなくて、友達もいなかった。
いや、あえて友達をつくろうともしていなかったと思う。
小学校や中学校のときにはいじめにも遭っていたのだけど、それは周囲を無視するような私のふてぶてしい態度が原因だったんだろうと思う。


両親は、兄のほうだけを大切に育てていた。

おそらくこれは 田舎あるある なのだろうけど、長男である兄は「家督を継ぐ人間」として見られていたので、兄にだけはエリート教育が施されていた。
とくに母は兄のことを異常なほど溺愛していた。
一般的には上の子よりも下の子がかわいがられることが多いらしいが、わが家の場合は兄のほうが露骨にかわいがられていて、弟の私のほうは放置されていることが多かった。

いや、それでよかったのである。
私は兄に対して嫉妬する気持ちはなかったし、両親のことを恨む気持ちもなかった。
むしろ、両親の目が兄に向いていることで、私自身は自由気ままに生きられてラッキーだとも思っていた。


でも、正直なところ、1つだけ疑念があった。

兄と私は 本当の兄弟ではないかもしれない…という疑念。

実際に父と兄は顔や体つきもよく似ていたが、私の構造は明らかに父や兄と違っていた。
まるで私だけが家族の一員ではないような感覚もあった。

実際に父は酩酊したとき私に対して「おまえは俺の子じゃないからなぁ…」と言ってきたこともあった。
その言葉の意味を改めて尋ねてみたが、父は慌てて我に返って「いや、冗談だ…」とだけ言って、それ以上のことは何も話してくれなかった。

客観的に考えても、おそらく私は父の子じゃないといまだに思っている。
もし、私が母から産まれたことだけは事実なのだとすれば、私の実の父親は他にいるのかもしれない。
だからこそ、母も父への負い目を感じていて、兄のほうを不自然なくらいに大事にしていたのではないだろうか。

けれども、父や母の生前にその事実を面と向かって確認しておく勇気もなかったので、真相は分からない。


いずれにしても、生き残っているのが「変人」の私ではなくて優秀な兄だったらどうなっていただろう…と考えることはある。

まっとうな人間である兄ならば、ごく普通に結婚して、ごく普通の家庭を築いて、立派に社会にも貢献して、今頃は幸せな暮らしがあったかもしれない。

生き残るのは私ではなくて、兄のほうであるべきだった…。

・・・と、考えてもしょうがない。

それは分かっている。

If(もしも)という想定は、現実には無いのだ。

今、私が生かされているという事実があるだけだ。

だから、私は生きてゆくしかない。