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久々のエレクトーン

日曜日の朝。
ルリナがあたりまえのようにうちにやって来た。

私との勉強は「土曜日だけ」のはずだったけれど、すっかり日曜日も私の家で過ごす習慣になってしまったようだ。

午前中は、私が出していた課題をルリナは黙々とこなしていた。
私はルリナの隣りで自分のデスクワークをしていたが、おとなしく勉強を進めてくれるから全く邪魔にもならなかったし、むしろ私にとってもなぜかとても居心地の良い静寂だった。

昼は、私が具沢山の五目チャーハンを作ってやった。
(パラパラすぎて下手っぴな仕上がりだったので、あえて写真は無し。)
でも、ルリナは「おいしい!」と言ってたいらげてくれた。

午後は、予定以上にスムーズに勉強が進んだので早めに終了にしてやったのだけど、またもやルリナはなかなか自分の家に帰りたがらなかった。
私の家にいるのがよほど楽しいらしい。

「あれって、オルガン?」
ルリナが指さした先に、私のエレクトーンがあった。
この家を訪ねるようになってから、ずっと気になっていたらしい。


子供の頃、私の兄がエレクトーンを習っていた。

両親は長男である兄には様々な習い事をさせていたのだけど、エレクトーンもその1つだった。
けれども、親は次男である私には習わせなかった。

将来は兄が家督を継ぐ予定だから特別な教育を受けさせる…という田舎ならではの理由もあったのだろうけど、それ以上に秀才で素直な兄が両親からかわいがられていたことは間違いない。
その一方で、頭が悪いくせに偏屈で気難しい私に対して両親が何も投資しなかったのは、むしろ当然の成りゆきだったと思う。
もし、むりやりに私が何かを習わせられていたとしても、私のほうが素直に親に従っていたかどうかは分からない。
いや、おそらく当時のへそ曲がりな私なら、「やりたくない!」と拒否していたことだろう。

でも、私は兄がエレクトーンを練習している姿を観察していた。
そして、両親と兄が家にいないときに音量を小さくして、こっそり鍵盤を触ってみたりしていた。

エレクトーンは、両手だけでなく、両足も使わなければならない。
右手は上鍵盤で主に主旋律、左手は下鍵盤で主に伴奏。
左足はペダル鍵盤でベース、右足のペダルは音量の調節とリズムスイッチ。
何度か遊んでいるうちに、意外に要領が掴めてきた。
ラジオで聴いた曲を再現してみたら、なんだか普通に弾けてしまったので、ちょっと面白くなってしまった。

ある日、家族の留守中に気分よく弾いていたら、いつのまにか父親が帰ってきていて、見つかってボコボコに殴られた。
兄の大切な物に弟が勝手に触るな…という叱責だった。

それでも反省したフリをして、それからも私は人目を盗んでは兄のエレクトーンを勝手に弾いていた。
おそらく兄はそのことに気づいていたのだろうけど、両親に何も告げ口をしなかったようだ。
兄弟の仲はあまり良くなかったけれど、そういう暗黙の紳士協定はあった。

大人になってからも、独学でちょっと練習していた時期がある。
ひとり暮らしを始めて、思いきって自分のエレクトーンも買ってみた。
しかし、いまだに人から教わった経験はない。
もし、他人から習ったら、すぐに私はイヤになってしまっていただろう。

気難しくて飽きっぽい私は、結局はそれほど上達することもなく、エレクトーンのマイブームもいつしか終わってしまった。

今では兄も他界してしまっているので、兄のエレクトーンも処分されてしまっているが、私のはこうして皮肉にも残っている。



「弾いてみる?」
と言ってルリナをエレクトーンの椅子に座らせて電源を入れたのだけど、ルリナは人差し指だけでちょっと音を出して、「ムリ! 弾いたことないもん!」と言ってケラケラ笑った。

「先生、弾いてみて!」
ルリナからそんなオーダーを受けた。

ほら来た。
これが一番恐れていたオーダーだ。
正直なところ、私自身は下手すぎて他人に聴かせられるような腕はない。

けれども、ルリナに嘆願されて仕方なく1曲だけ披露してやった。
シカゴ『素直になれなくて』という曲。
(後から考えてみたら、もっとルリナが知っていそうな曲にしてやればよかったかもしれない。)
コードも間違えてばかりで、テキトーにごまかしまくりの演奏。
プロが聴いたらきっと鼻で笑われるんだろう。

なのに、ルリナは目をまるくして「すごーい!」と手を叩きながら単純に感動してくれた。
よしよし、師匠の持ち上げ方を心得ている可愛い子だ。
ルリナが原曲を知らなくてよかった。

それから、ルリナにエレクトーンを自由に触らせて遊ばせていたら、すっかり外が暗くなってしまったので、またアパートまで車で送り届けてやった。

終わってみると、なんだか充実した日曜日だった。
ルリナは私の家を遊園地か何かみたいに思っているのかもしれない。
だけど、ルリナとの時間は私自身にとってもちょっとした幸せな時間になっているのだろうと思う。