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あぶり出し。
ちょうど、ある本を読み直し始めた。
ちょうど、テレビ(BS3)でこのドラマの再放送をしていることを知った。
本そしてドラマのタイトルは、『阿修羅のごとく』。
大好きな向田邦子さんの本。
この偶然性に正直驚いた。
そういえば、昨年も同じような体験をした。
昨年末に、向田邦子さんの本を初めて手にした。
すぐに、テレビ(BS12)で向田邦子さんのドラマを再放送していた。
当時、この巡り会わせに、運命を感じた。
何度も、このnoteでも向田邦子さんのことについては触れているように。
そして、今回も。
偶然が重なると、それは必然なのかもしれない。
妄想は、自由にできるからからいい。
自分の都合のいい物語に、妄想できるからわくわくして楽しい。
妄想癖だからだろう、想像力が高いのは。
昨年は、ドラマが先で、後で本を読んだ。
言葉を巡るのではなく、ドラマとして言葉を感じていた。
今回は違った。
本が先で、ドラマが後だった。
本は二回読んでいて、三回目を読み始めた翌日だった。
本にあった言葉を巡るように、ドラマを観てみる。
すると、不思議な感覚があった。
ドラマの台詞が、浮き上がってきた。
本ではただそこに在った言葉が、浮き上がってきた。
言葉は覚えている。
これでも記憶はいい方だ。
単語を覚えるというより、像として言葉全体を目に写して覚えていく感じ。
どの辺りのページかも思い出した。
ただその言葉は、読んでいた時は印象に薄かった。
でもドラムの台詞を耳にすると、言葉が浮きあがってきた。
ひょっとすると、目だけでなく耳からも言葉がやってきたからもしれない。
辿るのは、何かに巡りあうためなのかもしれない。
言葉があぶり出されたようで実は、
自分の感情があぶり出されただけかもしれない。
そんな気がしてならない。
遠い昔、あぶり出しをしていたことを想いだした。
当時は、どんな文字を書いていたのだろうか。
今は、これから起こることをあぶり出そうとしているのかもしれない。