言葉を身体で感じる。
先月、不思議な体験をした。
7月始めから、あるオンライン勉強会に参加している。
「Journey of Regeneration 再生の旅」
このプログラムの「Theme 3 身体感覚をひらく」の簡単なワークで、
その不思議な体験をした。
「出会う」ということを、両手や身体全身を使って表現するワーク。
最初は、ごく普通のワークだと思っていた。
しかし実際体験すると、久々に言葉が、問いが溢れ出てきた。
正直、困った。
「出会うと触れるは、どう違うのか。」
意識をそこに向けて、何かを感じることで、出会う。
意識が起こるから、何かを感じる。
出会う前に、実は何らかの意識が起こっている。
意識していることもあれば、無意識のこともある。
気づいているかどうかは別にして。
そう、意識することで、身体が反応する。
「身体が反応することを、“ひらく”といえないか。」
意識がなければ、出会うことはない。
意識していなければ、出会ったという感覚は生まれない気がした。
その意識は顕在的なものもあれば、潜在的なものもある。
出会ったことで、潜在的だったものが、顕われる。
「では、出会うとはどういう状態か。」
出会うとは、迎え入れること。
そんな気がした。
そして迎え入れるとは、
受け容れる状態に、心も身体もなっている状態になっている。
「出会うの漢字に、なぜ“出”があるのか。」
「何が、“出る”のか。」
それが、意識のように思えた。
わずか数分のワークで、問いが溢れ出してきて、
その後のセッションに参加できなかった。
ただ、いつもは参加原則だが、
その時は参加しなくてもいいということだったので、
参加しないことを選んだ。
問いが浮かんでいる時に誰かと話すと、思索や探求が止まるのが嫌だった。
そういえば、同じような体験をしたことがある。
それは、2016年秋だった。
その時の体験は少しだけ、次の記事にてふれている。
『どのようにすれば、気づきを行動に移すことができるのだろうか』
あの時も本当は、懇親会に出てそのアーティストと話たかったけれど、
話すことで言葉が薄れ消えていくのが怖く、欠席を選んだ。
ただ1ヶ月後に、直接話をする場に出逢えた。
何の根拠もなかったけれど、また会うことができそうな気がしていた。
話は戻って、今回のワークで思ったことがある。
何気に使っている言葉に意識を向けることで、
何かが開かれていく気が強くした。
頭で使っている言葉を、身体を使って意識すると、
問いがめくるように溢れだす。
それも、めくるスピードは、どんどん加速していく。
言葉を頭で捉え、考えがち。
だから、言葉で苦しんだりもする。
でも、言葉を身体で受け止めると、全く違う感覚が誕生する。
ネガティブな感情よりも、ポジティブな感情が溢れ出てくる。
もっとうまく説明できればと思いつつ、
このつたない文章で何かを感じてもらえたらそれでいいと思う。
心地いい体験だった。
これから何が私の身体に起こるのか、楽しみでいっぱいだ。