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期待と鏡 ー 書籍『ワンルームワンダーランド ひとり暮らし100人の生活』によせて
ひとり暮らし100人の部屋とエッセイ集『ワンルームワンダーランド ひとり暮らし100人の生活』(小鳥書房)には、部屋への期待がある。雑誌などの部屋紹介とは違う。雑誌などにあるのは、期待された部屋だ。
部屋への期待がなにかといえば、それは他人の部屋を訪れたときのワクワク、純粋な好奇心、何を期待しているか分からないような期待といったようなもの。期待された部屋を並べることが展示だとすれば、『ワンルームワンダーランド』は冒険なのかもしれない。偶然と驚きと、多数のことが待っている冒険。
きっと部屋にはそのひとそのものが表れる。意図した部屋でも、無謀な部屋でも。ほかの誰かと暮らす部屋ではない、ひとり暮らしの部屋ならなおさら。
落合さん、僕もそう思います。一人暮らしの部屋というのは、自分だけに許された場所なのですから。自分の好きも思い出も美学もだらしなさも、とりあえずは全部受け入れてくれる。でもやはり厳しいときもあります。
部屋は、言葉を話すわけじゃない。でもありったけの息を吸って暮らすわたしたちを、静かに見守ったり叱ったりしているのかもしれない。
部屋はある意味大きな鏡なのかもしれません。背中や未来(期待)や過去すらも映すような、とても不思議な鏡です。さらに、普通鏡は外からの情報を反転したかたちではありますが、そのままの映像で返します。だけど部屋という鏡は、写した映像を言葉で返してくるのです。落合さんの言うように、確かに部屋は言葉を話すわけではありません。ですが、言葉を返してくれるのだと思います。今回のそれぞれのエッセイは、部屋という鏡が返してきた言葉でもあるのかもしれません。部屋は、その人そのものを言葉で映す鏡なのかもしれません。
でも、『ワンルームワンダーランド』では、部屋と言葉から、そのひとそのものが表れていても、そのひと自身は見えないので、どんな人が住んでいるんだろうと想像する楽しみもあると思います。これは現実に部屋を訪れるのではできない楽しみです。
『ワンルームワンダーラード』には私も寄稿した。私の部屋はこの本では37号室。ふと隣人の部屋が気になった。自分の部屋からページを前にめくり、後ろにめくる。自分の部屋とはもちろん全然違うけど、なにか共通したものも感じた。今の現実の隣人よりもなぜか近しく感じる(実際の隣人と険悪なわけではない。お互い感じよく挨拶もする。余談だが、隣は外国の方が住んでいて、窓を開けていると異国の料理の香りが漂ってくることがある。とてもいい香りで、とてもたまらなくなる)。実際はそれぞれ遠くに住んでいるのに。いつか訪ねてみたいなとも思うけど、近くて遠い隣人のままでいいような気もする。
最後に、『ワンルームワンダーランド』を企画、編集をした、落合加依子(小鳥書房)さん、佐藤友理さんに謝辞を。
エッセイを書き、写真を撮ってから1年ほど経ったと思います。あれから物が増えたり、人が遊びに来ることが多くなったりと、変わったところもありますが、変わらず日々と風が流れています。まだしばらくは住むつもりです。この本、『ワンルームワンダーランド』に僕の部屋と言葉を住まわせてもらい、ありがとうございました。