死にゆく人に何ができるか。
幼児期に祖父母と暮らしていた事がある。
もともとは両親と弟と暮らしていたのだが、両親が自営業を始めた事がきっかけで、1人県外に預けられる事となった。
その頃の祖父母は60代で、祖父は既に定年を過ぎて隠居の身であった。公務員だった祖父は優しい人だった。よく公園に連れて行ってもらい、野球の真似事をして遊んでもらっていた事を思い出す。私は祖父の事が大好きだった。
私はとても静かな子供だった。 保育園で1人だけパンの袋を開ける事が出来なかった事があり、それを先生にも誰にも伝えられずに泣いていたような大人しい性格だった。やんちゃな子にいじめられたりもした。
そんな私を祖父は歯痒く思う気持ちもあったようで「やられたらガツンとやりかえせ!」とよく言っていた。それ以外に厳しく言われた事はなかった。
対して祖母は厳しかった。保育園に行かないと駄々をこねた時などは、真冬の庭先に放り出され、家から閉め出された事もあった。押入れに閉じ込められた事もあった。泣き喚く私を前にしても決して折れる事なく、厳しさを崩さなかった。後に祖母から聞いたところ、親元を離れて暮らさなければならない私を不憫に思う一心で、涙をこらえながら厳しくしつけてくれていたそうだ。
しつけの時以外はとても優しく、保育園やスーパーまで、仲良く手を繋いで歩いていた事を今でも鮮明に思い出す。好奇心旺盛な年頃の私が道中で珍しい物を見つけてはしゃいでいると、それを一緒になって楽しみ、不思議がったりしてくれた。そんな祖母の事が大好きだった。
祖父は随分前に亡くなった。
病院で亡くなったのだが、祖母が最期まで献身的に身の回りの世話をしていた。アルツハイマー病により徐々に脳が萎縮し、認知症が進み、心身機能が落ちていく祖父のいる病院に毎日訪れ、食事の介助をしたり、口腔ケアをしたりしていた。祖母の中で、自分が出来る限りの事はしてあげられた、という思いがあったそうで後悔の気持ちはなかったそうだ。
祖父の臨終に、私は運良く立ち会う事が出来た。県外の学校で授業を受けている時に危篤の電話が入り、数時間かけて駆けつけたのだが、その間、祖父は頑張って生きていてくれた。
呼吸器をつけた祖父の脈が、段々と弱っていく様をモニターが映し出していた。
もう周りが見えてはいないだろう祖父に、私は自分の名前を言って「来たよ」というのが精一杯だった。
何か言いたげに祖父の眼だけがこちらを向いたかと思うと、すーっと涙を流した。
それが最期だった。
祖父との色んな出来事が走馬灯のように思い出された。
高校生の頃からか、私は大好きだった祖父の事を煙たがるようになった。大学生になってからは普通に接するようになったものの、何となく疎遠になっていた。
祖父の亡骸の前で涙が止まらなかった。自分は何一つしてあげなかった。孫達の中で一番可愛がってもらっていたはずなのに、何も恩返しが出来なかった。そしてどうしていいのか分からなかった。自分が本当に悲しんでいるのかも分からなかった。
初めて死に直面した訳ではなかったが、死というものが何なのか理解しきれていなかった。
祖父の死から15年以上が過ぎ、祖母は100歳に手が届く年齢になっている。
社会人になり老人福祉に携わってきた私は、多くの人達の死に目を見てきた。
苦しみながら逝く人、眠るように逝く人、孤独の中逝く人、家族に囲まれて逝く人…それぞれの死があった。
そう遠くない未来、祖母にもその時が来る。
今、祖母にしてあげられること。
それは祖母の気持ちを理解し、共感する事だと思う。
この世を去る事に対する不安、心身の痛み、苦しさ、あきらめ…。
死を前にした人は、これらの感情を1人で背負わなければならない。
それは1人だけで抱えるにはあまりに重い。
もしも自分が死を前に苦しんでいるとしたら、励ましや慰めを言ってくれる人よりも、話を遮らずに聞き、自分の気持ちに共感してくれる人に会いたいと思う。
本人の不安、つらさは元気な人には想像できないものであり、安易な励ましなどは無責任でもある。
不安な気持ちをありのまま受け止め、共感する事で、その人の心の重しを軽くしてあげる事ができる。
私は祖母の苦しみを取り除いたり、死を遠ざける事はできない。
だけど、祖母の安心できる時間が少しでも長くあるように寄り添う事はできる。
長く一緒にいる事だけが良い事ではない。
残された共に過ごせる時間を大切にしたいと思う。