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「私はどう生きるか」
今回のテーマは「私はどう生きるか。」? マオ先生(臨床心理士)と取り組んできた2年4ヶ月のワークで学んだことを元に、自分なりに考えた結果をまとめてみる。
【ありのままで居たい】
2日前に行われた話し合いでは、なかなか最悪な感情に満たされて終わった。けれど忘れてはいけないのは“ここがゴールではない”と言うこと。線を結ぶ為のただの点なのだ。
だからと言って、最悪な身体感覚に襲われるのも事実。マオ先生とのワークまであと2週間はある。そこまでどう乗り切るか? この感情をどう振り返るか? 日常をこなしながら取り組んでいくことが私の課題となる。
◆「ストレッサー=話し合い」と「文脈依存」
診療所で1時間半に渡って行われた話し合いでは、終始、先生は旦那には肯定的だった。それに反して常に私には批判的な意見・態度を向けた。そこに医師としての意図があったのかどうかは不明だ。わざと私を感情的にしようとしてるのかと勘ぐってしまうほど酷かったと私は感じた。
そう感じたのには、私の文脈依存「こういう類の人は大抵私を見下している。」が大いに関係しているんだろうなと思った。次の段階の思考-行動パターンを変えていくなら、ストレッサーに紐づいた感情を一旦まっさらにして、ありのままの私が望む未来へ繋げていく為の“感情の紐づけ”をし直さなければと思った。
この話し合いでわかったことを書き出してみた。
1、私の中に生まれたのは怒り・敵対心・呆れ
2、先生の言葉には「評価」「決めつけ」があったように感じる
3、旦那は今まで私の前では言ったこともないような事ばかり言っていた
4、先生の旦那への評価は変わらず優良
5、「評価」を求めて怒りをぶちまける私の存在が大きくなった
6、感情的にならないようにと教わったことは、ほぼ実践できなかった
結局、旦那と先生だけがほんわかした空気に包まれて終わった。
「何なん?」
私の頭にはハテナが無数に湧いてきたのだけれど、一昨日から、それを少しずつ解決していく作業に入った。
◆“旦那のゴール”
答えのない話し合いが苦手な旦那は、終始ゴールに拘った。だからか話し合いの最後に先生に対して
「あのぉ、僕のゴールはどうしたらいいんでしょう?」
なんて質問をした。先生から自分で思うゴールは? と質問され更に困惑。この人には答えを人任せにする所がある。いい機会だと思い私も期待しながら待ってみた。
「そうですね、娘との関係について最近言われてるので、それですかね?」
結局、私から言われたことをゴールに設定。期待外れ予想通りの結果だった。今後、娘との関係にどんな風に変化が生まれるか? 期待せず“観察”していきたい。
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◆自己フィードバック
私はありのままで居たい。そこには「評価」も「決めつけ」も必要ない。先生が放った冷めた言葉も、旦那が被った猫の着ぐるみも、私には要らないものだった。マオ先生も言っていた。
「自分がありのままで在ること。そしてその自分が思い描く未来を生きていく為に、“今”を観察し選んでいくこと。それでいい。」
迷いもする。悩みもする。それらは全て”ありのまま”で居る為の重要な行為で、その先で必ず私の生きたい明日が待ってる。今回の話し合いで言われたこと、感じたこと、表情や身体反応を出来る限り思い出し“観察”する。そこから浮かび上がってくる幾つかの選択肢の中から自分の未来を選び取っていくだけでいいのだから、話し合いでわかったことの《1~5》は消化したようなものだ。
それから“旦那のゴール”が、もしかしたら今後の私の選択をサポートしてくれる可能性もある。この計画には惜しみなく手助けしていきたい。
更にもうひとつ。忘れてはいけない存在がある。話し合いが行われている間、怒りを相手にぶつけたり、言葉に表現したりせず、全てぐっと堪えて飲み込んだ私が居たこと。その点は、良く頑張った! と褒めてあげてもいいのかな。
◆反省点
マオ先生に提案してもらった、マインドフルネス+自我状態の感情コントロール。話し合いの出だしでは意識して時計を眺めたり、エアコンの音に耳を傾けたりできていたのに、先生の目つき・言葉、旦那の歯の浮くようなセリフたちに、私の中の怒りが反応した時は瞬間的に頭が真っ白になってしまい何もできなかった。それが今回の一番の反省点だったように思う。日頃の練習不足が伺える。いざという時の為にもっと練習量を増やそうと決意。
ここに気づけたのは、話し合いの場を設けたからだ。最悪な話し合いでも意味があったと思えるような場に出来たのは、少なからず私も頑張ったからだ。
【私はどう生きるか】
その答えは単純明快で、ありのままで生きる。これに尽きる。答えが出ているのなら、そこまでの道のりに課題と言う名の中間地点を設けて、それを一つずつ丁寧にこなしていくだけ。ただ、この部分が“私の一番苦手な作業である”ということだ。
◆文脈依存と思考-行動レパートリーを見直す
レジリエンスについて先日勉強したばかりなので、その要素を取り入れて折角なら能力を高めていきたい。
レジリエンスは誰もが持っている。個人差が現れるのは文脈依存と思考-行動パターンだ。恐らくここに私は「認知の歪み」「イラショナルビリーフ」が存在しているのだろう。それは前述した「こういう類の人は大抵私を見下している。」であったり、「この世は不公平だ!」という「決めつけ」なのかもしれない。
今までそういう類の人たちから見下されてきた過去から、そういう類の人たちと向き合うと怒りが自然と湧き上がる。これが文脈依存。そして「どうせ私を見下してんだろ。」という思考に結び付き、そういう人とは交流しないという行動をとってきた。私の思考-行動パターンは一つしかない。その数を増やしていくことが能力を高めていくことへ繋がってゆく。
現段階で思いつく増やせる思考-行動パターンを考えてみる。
1、そういう類の人のことも同じ空間に居ることを許してみる
2、そういう類の人に怒りをぶつけることがありのままか考えてみる
3、過去のそういう類の人と目の前の人は別人だと思ってみる
4、そういう類の人が下した「評価」を要らないとはっきり言ってみる
5、そういう類の人は、果たして本当にそういう類なのか見直してみる
6、結果を焦らずもう少し観察してみる
7、カタルシスタイムを設けてみる
◆新たな戦略
戦略と言えるのかどうかわからないけど、これからは戦略をたてないことを戦略としてみようと思った。考えすぎて失敗してきた節もある。だからその考えを一旦手放してみる。これもフィードバックしてみて違ったら変えればいいだけ。取り敢えずやってみる。それでいい。
これは今回のストレッサーに対する戦略であって全てに適応されるものではない、ということを忘れないでいたい。
【長期記憶にする為に】
長期記憶とは、数分から一生に渡って「保持」される記憶のこと。長期記憶として保持しておく為には、何度も「リハーサル」を行って海馬から大脳皮質へ記憶を保管しておくしかない。こうして書くことも私にとっては「リハーサル」のひとつ。ありのままで居たいから。そんな私が好きだから。
-余談-
ミセスの『ライラック』の歌詞で
思い出の宝庫 古いものは棚の奥に
ってあって、記憶の保管棚なんだろうなと思っていたけど、記憶に関する脳の仕組みを知って更に納得。
新しい記憶は海馬で一時的に、古い記憶は大脳皮質に保管される。だから古くて埃をかぶっているのに、誇りが光って見えるんだなって。そのどれもが古いだけじゃなく大切な思い出なんだなって思いました🪼 以上🫧