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ひかげのたいよう #22
娘が近くの幼稚園の満三歳児クラス(年少より一学年下のクラス)に入れたこともあり、少し私の心の負担が和らいだ。そのタイミングで、相性の合わない臨床心理士とのトラウマ治療をやめた。治療が逆に私のストレスになり始めていたからだ。私はこの選択は間違っていなかったと自信を持っている。何故ならば、この先にマオ先生との出会いが待っているからだ。
治療をやめてからの私は、新しい環境に細かいことを気にしている余裕などなく、全てが順調に行き始めていると錯覚していた。それも娘が年少さんになり、日常生活にも慣れてきた頃には少しずつボロを出すようになった。突然娘との関係を良好に保つことが難しくなり始めたのだ。そのもやもやした感情がどこからくるのかはわかっていた。幼い頃に傷を負った私が抱いた、何不自由なくみんなから愛され大切にされている娘への嫉妬心からだった。
『私はこんなに愛してもらったことないのに。大切にしてもらえなかったのに。』
そんな負の感情を抑えなきゃと思えば思うほど、心ははち切れそうになる。ちょうどその頃から旦那へのあたりもキツくなり、一緒の空間に居るのも嫌になっていった。会話もしたくない。もう離婚しかないのかな、と頭をよぎった。自分ひとりで解決できない問題に出くわした時の私は、いつも自分の殻に閉じこもり周囲と距離をとってきた。けれど“今の私”には頼れる場所がある。コロナ禍に見舞われてから遠のいていた足を、診療所へと向かわせた。久しぶりに先生のもとを訪れ現状を伝えると、以前受けたトラウマ治療を再び勧められた。前回は私が近所で治療を進めたいとお願いしたこともあって、先生も面識のない臨床心理士と治療をしていくことになった。結果うまくいかなかったが、今回は先生が密に連携をとっている臨床心理士を紹介してくれるという。この先生なら間違いない、是非ここで治療を受けてもらいたいと熱意をみせられた。その先生こそが、現在も共に私のトラウマと向き合ってくれているマオ先生だった。しかし既に一度トラウマ治療を受けている私には、過去の記憶を思い出す作業は重く、気が進まなかった。思い出すことで私の心理状態が不安定になり、現在の日常にまで影響を及ぼす。そして何よりも時間とお金がかかり過ぎる。それにこの時はまだ、よくなっていく確信も持てていない。とても悩んだ。こんな時にも思い浮かぶのは、必ず良くなっていくという先生の言葉だった。先生は初めて私が信頼できると思えた医師だ。その先生の言葉には希望を捨てずにいたかった。一度行ってみて微妙だったら断ればいい。そんな軽い気持ちで一歩踏み出してみることにした。
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