ちょっと真面目に、ちょっとふざけて考えてみた「人間的思考」について
すっごい長いタイトルになってしまいましたが…
先日、ある方のインスタの言葉ではっとしたことがありました。
それで、考えてみた「人間的思考」
人間的思考って、人間が考えることですが(笑)
私たちが当たり前だと思っていることが、全部違ったら…って言う事です。
多くの人が信じていて、その証拠となるものがあって…(いや、信じてるからそうなるんだけどね)もうまぎれもない事実のように感じてることって
沢山あると思うのです。
例えば、老い
当たり前においていくと思っているし、老化とか言う言葉もありますが
それにいかに抗うというか、付き合うというか…そういう情報が沢山あります。受け入れるという事もありますよね。
でも、そもそも「老いてきている」と感じる症状だったりが逆の世界だったら?
おじいちゃんやおばあちゃんの姿で生まれて、どんどん私たちが若いと信じている状態になっていくことが年を重ねる世界ならそれを「老いた」というのかもしれない。
または、老いたという言葉すらなくて「若返る=私たちで言う老いる」だとしたら?
私たちの当たり前は、その世界では一切通用しないわけです(笑)
働くことが素晴らしいとされている(という考えが信じられていたり、一般的ですが)この世界で、もし怠ける人こそ素晴らしいという世界の人がやってきたら?
びっくりするでしょうね(笑)
この世界で美人といわれる人が、醜いという世界があったら?
当然、その世界の当たり前が当たり前になるでしょう( ˘•ω•˘ )
「私たちが(自分が)信じているからそうなっている」だけに過ぎないってことです。
だから、自分の現実を見て「これ以上はどうしようもない」なんて思っていることも案外違うかもしれない。
「最悪だ」って思える現実も、実は違うかもしれない。
これは、それを受け入れようってお話ではなくて
あなたの認識が違うのかも?って話ってことです。
その最悪だと信じている現実。
それが実は最高なんじゃないか?って言いたいのではなくて(それもありだけど)そう認識しているけど、本当は違うんじゃないか?ってことです。
↑
これ、108さんの不足を疑うってことですよね(*'ω'*)
今、書きながらにしてより理解した(笑)
認識なだけ。
見えているものを変えようとするのではなく、内側を変えるだけでいいんだってこういう事です。
だって、それだけで見えるもの変わるんでしょ?(笑)
だったら、あなたは何を採用する?
認識や自分の選択が何より大事(内側ってことね)なら、
現実を変えようとしているのは、見ている映画の内容を画面の中にどうにかこうにか入ろうとして変えようとしたり(笑)
制作会社に連絡して、ストーリーを変えさせようとしたり、その映画がいかに変更したほうがいいかとSNSに毎日上げたりそれに時間と労力を費やしているようなものです。
(書いてみて、ぞっとしたけどこういうことだよね( 一一))
そうではなく、見る映画を変える。
または、好きなシーンだけをピックアップして自分で好きなストーリーを展開させる。それを楽しむ。
(それを実際の映画ではできないけど)
あくまでも、見ている側の人です。
見ている側の人の状態によって、ホラーを見たり泣きたくなったりしてそんな映画を選ぶだけでしょ?
(好みの話は、一旦横に置こう(笑))
スピリチュアルだって、結局それぞれの方の解釈です。
それが良いとか悪いとかではなく、その人それぞれが正解ってことであり、
自分には一致しているかは別ってことです。
どこまでも自由だし、選べるとは…
逆に言うと、自分で選ばなけらばストーリーを展開させることはできないよってこと。
見るだけじゃない。選ぶ側なんです。
選択できるの。
普通こうだし…も人間的思考。
全部全部、人間的思考。
誰が決めた?それって本当?
それが心地よくないなら、無視するか疑ってもいい。
(自分の中でね)
人間的思考に、あまりにも左右され支配されすぎたのかもしれない。
もっと自由に、考えていい。
そんなことを、結局これも人間的思考(笑)で書いてみました。
あなたは、どこまでも自由です♡
今日も何か受け取っていただけることがあればうれしいです。