『天啓予報』第32章 人類の本質
第三十二章 人類の本質
「名前は?」
「槐詩」
「年齢は?」
「十七歳……ちょっと待った、天文会もホストを募集してるのか?」
静かな事務室の中、机の奥に座った少年は顎を掻き、わけがわからないという顔で無表情な質問者を見た。
「ねえ、おじさん。この数日ずっと質問責めにあってるんだけど、俺は天文会のために悪者を退治したんだよな?どうして犯罪者みたいなな待遇を受けてるんだ?」
「捜査上の手続きです。協力してください」
何度目かわからない文句を質問者は繰り返すと、続けてまた質問した。
「ではもう一度、あなたと紅手袋の戦闘過程を話してください」
「忘れた。よく覚えてない」
槐詩は冷たい目で見た。
「通りすがりの禿げのピギーが一撃で殴り殺したんだ。俺が来た時ピギーは紅手袋を殴っていて……」
「ふむ。禿げのピギー……どうしてさっき話したのと違うんです?」
「よく覚えてない!」
「では、説明してください。覚醒したばかりの昇華者であるあなたは、どのように第三段階の紅手袋を殺したのですか?我々の調査では、あなたはずっと音楽専攻の学生で、喧嘩もしたことがないはずですが」
槐詩は白目を剥いた。
「才能だ!」
「では次の質問……」
二時間後、職員は冷静に手の中の厚い記録を整理し、ルーチンワークのような動作で立ち上がった。
「ご協力感謝します。あなたの世界への貢献に対しても」
機械的な握手をすると、職員は背を向けて去って行った。
残された槐詩は魂の抜けた状態でドアの近くに立っていた。
「やっと終わりか?あんたたち天文会は異常じゃないか?何度も人を寄越しては同じことを質問して……」
本を読んでいた艾晴は何でもない事のように言った。
「至って通常。緑日に関しては、詳細な記録をとる必要があるの。彼らは記録員。職責は、あなたが何を言おうとも記録し、持ち帰ってファイリングする」
「そんな表面的な記録が何になるんだ?」
「仕事をしているふりにはなるわ」
艾晴は静かに言った。
「でも時には、誰かが記録を改竄して罠を仕掛けることもある」
「え?」槐詩は艾晴を見た。「罠?」
「それも通常運転よ。座って」
艾晴は一口コーヒーを飲むと、続けて言った。
「人が集まれば争いが起こる。監察官という重要な職務は狼が奪い合う肉のようなもの。内輪揉めがよくあるの。二十歳の脚の悪い女が座ることに、不満を抱く者も多い。もし人を陥れることで望む椅子が手に入るなら、私もやるでしょうね」
槐詩はヒュッと息を吞んだ。
「あんたら天文会って闇が深いんだな」
「ひとつ注意しておくと――」
艾晴はやっと顔を上げ、槐詩の胸のバッヂを見た。
「あんたたちでなくて、私たち――もちろん、集団的栄誉感を感じてほしいわけじゃなくて、私に何かあったら、あなたもただじゃ済まないということよ」
「ああ、わかってるって。呉越同舟、だろ?」
槐詩は溜息をついた。ここ数日で艾晴の態度には殆ど慣れたが、一言もポジティブな言葉を聞いたことがないのはなぜだろう?
もし自分がマイナスエネルギー製造機だとしたら、艾晴は製造工場だ――出荷量が桁違いの。
この女はいままでどうやって生きてきたんだ?
「もちろん実力でよ」
艾晴は顔も上げずに答えた。
槐詩はギクッとした。この女は読心術を使えるのか?
「私は昇華者じゃないから、そんなわけのわからないものは使えない。あなたは全部顔に書いてあるのよ」
「え……」
槐詩は無意識に顔を撫でた。
「何か顔に書いてあります?」
「あるわ」
本を読んでいた艾晴は再び顔を上げ、憐みの目で槐詩を見た。
「人類の本質が具体的に解説してある」
「うん?優しくなければ生きている資格がない、とか?」
槐詩は楽しそうに尋ねた。
「……」
艾晴は無視した。
その後も槐詩はずっとあれこれ話しかけ、艾晴はずっとうるさそうな様子をしていたが、ついに本を閉じ、こんな人間を秘書にした自分の頭を疑った。
「いったい何なの?」
艾晴は手を挙げて槐詩の鼻を指さすと、目を細めた。
「報告書を書き終わって暇でしょうがないなら、最近ネットで愛好者が話題にしている新海の幽霊屋敷トップ10を調べてみたら。あなたと同じように暇な人間が探検する手間が省けるでしょう」
「やめてくれ!」
槐詩は怒って机を叩いた。
「そんなランキングがなんだっていうんだ。一位がうちだなんて!
うちがお化け屋敷だと?ちょっと貧乏でちょっと荒れているだけじゃないか?もし金があったら門だって修理するのに。この二日で四回も写真を撮りに来たきちがいどもを追い返してやった」
「……」
艾晴は呆れたように言った。
「つまりいったい何が言いたいの?」
「つまり……お尋ねしたいのですが……」
槐詩は突然恥ずかしそうになって、揉み手をし、へつらい笑った。
「社長、給料の前借をできませんか?」
「……」
艾晴は深く息を吸い、本を槐詩の顔に放り投げたい衝動を抑えた。
「既に二万元以上渡してるけど?」
「なくなりました」
槐詩は涙を堪え、窓の外の樹にとまっているクソ烏を見た。
「つまり、色々あって、もうすぐ新学期で、あと四千元足りない。学費とは別に、生活費もかかる。社長、給料の前借りで年を越させてくれませんか?」
「いまは九月末よ、年越しまで半年あるわ」
艾晴は無表情に槐詩を見ていたが、しばらくしてスマホを取り出した。
「いくら必要?」
槐詩はパッと目を輝かせ、申し上げた。
「ええと、五、六千あれば。給料が入ったら返します」
ピッ!
『四千元を送金しました』
艾晴は淡々とスマホをしまった。
「今月の基本給。来月の十五日まではこれで生活しなさい」
「月給四千元か!」
槐詩はうれしくて仕方がなかった、雨の日も風の日も酒場でチェロを弾く孤児院の文芸公演ではこんなに多くの金は稼げなかった。
「ああ、ちょうど明日柳の見舞に行くし、何か買って行ってやろう」
「あなたたちいつ仲良くなったの?」
「はは、羨ましいか?」
槐詩は得意になった。
「男の友情ってやつだ」
「そうなの?」
艾晴は淡々とコーヒーを一口飲むと、何気なさそうに尋ねた。
「で、考えてある?彼の百万以上の車を燃やしてしまった言い訳は?」
「……」
悲痛な面持ちで事務室を出ていく槐詩を見送った艾晴は、やっと貴重な平穏を手に入れた。
静寂の中、彼女は溜息をつき、パソコンのモニターに表示されている少なくはない金額――三百四十万ドルを見た。
まあいい。
紅手袋の懸賞金のことは、とりあえず黙っておこう。
※
※
「こんなにいい家がお化け屋敷だって?」
槐詩は腰に手をあてて門の前に立ち、青々と茂る樹々や、塀を覆う苔やツタを見回した。
錆だらけの正門の奥には、雑草や野花が伸び放題になっており、欠けた彫像は太陽の光を受けて白く輝いている……
「まさに風光明媚、一幅の絵のようじゃないか!」
槐詩は頭を振りながら門をギーギーと押し開けて入った。
「ただいま!」
応える声はなく、門は槐詩の背後でひとりでに閉まり、鋭い音を立てた。
見たか?なんて至れり尽くせりなんだ。門まで自動ドアだ!
槐詩はフンと鼻を鳴らすと、ギシギシ鳴る床を歩き、玄関の扉を開けた。埃だらけの正面ホールで、テーブルの上に置いてあったコップで白湯を飲む と、自分の部屋に戻って新学期の準備をした。
槐詩が所属しているような文化課は、高三の教程は殆ど捨てていて、来月の専業演奏の資料と教材の準備をする。
ABRSM――英国王立音楽検定の専業演奏資格証明書は、世界で大多数の国が認める資格であり、これさえあれば、高考〔大学入試共通試験〕の成績が酷すぎない限り、芸術系の大学への入学は約束される。
「それが今のあなたに何の意味があるの?」
烏鴉が尋ねた。
「え?」
槐詩はきょとんとした。
烏鴉は再び尋ねた。
「学歴や資格が、昇華者にとって、意味があるのかしら?」
「昇華者は霞でも食ってるのか?昇華者にだって仕事は必要だろう?」
槐詩は白い目で見た。
「まさか金が空から降ってくるのか?」
烏鴉は溜息をついた。
「私が言いたいのは、殆どの昇華者にとって、お金の心配はないってこと。もちろん程度の差はあるけど、食べるのに困ることはないわ」
「昇華者はどうやって金を稼ぐんだ?」
槐詩は軽蔑を顔に浮かべて言った。
「殺人放火?強盗と何が変わらないんだ?まともじゃない手段でびくびくしながら生きていくのか?」
天文会の給料は確かにいいし、なにもしなくても毎月四千元が入るというのは凄いことだ。だがちょっと考えれば、いつどんな危険な任務に駆り出されるかわからない。
柳東黎がいい例だ。
ホストとして楽しく日々を過ごすことはできず、自分の護衛となり、老婦人たちに迫られてヤンコ踊りを踊った上、裏切者に背中から撃たれたのだ。
それ以来槐詩の昇華者に対するイメージは、「危険」の二文字に尽きた。
効能不明、脅威不明、作用不明の辺境の遺物が大量に現境に出回り、昇華者は皆それぞれ異なる霊魂能力を持ち、奇妙な聖痕を植え付けられている……
誰もが簡単に人を殺せる。
柳東黎のような見た目を売りにしているホストでさえ、絶世の美貌(自称)で強制的に魅惑して呼吸を忘れさせ、窒息死させている。
しかも、自分はただの憐れなマイナスエネルギー製造機に過ぎない。
スクラップ直前の紅手袋にとどめを刺すのに、何度死にそうになったことか。
死線をさまよう人生?
ごめんである。
早く生計の路を立てて、天文会を辞職し、こつこつと堅実に、ウィーンでチェロを演奏する夢に向かって努力しよう。
演奏者になれなかったら音楽教師でもいい!
「……昇華者の生活は多少の危険はあるにしても、みんな自分の力で食べているの。世界中の昇華者が犯罪者になるわけではないのよ?」
烏鴉は呆れて溜息をつくと、爪でスマホを持ちあげた。
「まずこのニュースを見て」
「なんだ?」
槐詩は顔を近づけて『明日新聞』の記事を読んだ。
「ローマのオークションで最高記録更新。黄昏系譜五階聖痕のニーズヘッグは四三……なんでこんなにゼロが多いんだ!」
訳者コメント:
槐詩の夢は音楽で生計を立てて幸せな人生を送ること。でも烏鴉は槐詩を昇華者として成長させたい。さて、どうなることでしょう……