『天啓予報』 第1章 マダムの快楽チェロ 作=風月 訳=竹内光

著者紹介 風月(ふうげつ)
 1991年中国四川省生まれ。
 小説家。閲分集団所属。
 著書に『天啓予報』『妙筆計画:青蓮剣花』『静寂の王冠』『天駆』『鋼鉄の王座』など。
 現在、起点小説網に『天命之上』を連載中

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あらすじ
主人公・槐詩は両親を亡くし、苦学して高校に通う十七歳である。彼はある日、知り合いの仲介業に紹介されたレストランの面接に行き、実はホストの面接だと知ってがっかりして帰る途中、奇妙な男の変死に遭遇する。系査察に通報して帰宅した後、彼は奇妙な夢を見る。槐詩は夢の中で色々な人間になっては、必ず猿のマスクを被った怪人に殺される。何度もの悪夢を見ては眼目覚める夜が明けると、彼は自分のベッドの上で重装備との軍隊に包囲されていた。彼は連行され、面接時に顔を合せたナンバーワンホストの奇妙な能力によって、変死した男と男が持っていた箱について尋問される。だが何も知らない槐詩は無罪釈放され、帰宅すると、人語を話すカラスに死を予言される。死にたくなければ自分の言うとおりにするように、とカラスは槐詩に告げる。
一人の少年と一話のカラスが世界を救う物語が始まる――

第一章 マダムの快楽チェロ

「名前は?」
槐詩かいし です」
「年齢は?」
「十七歳です」
「十七?」
 面接官の男は眉を上げ、デスクの向こう側に座っている少年を見た。
痩せた少年は急いで愛想笑いを浮かべた。
重そうな楽器ケースを担いで来た少年は古びたスーツを着ていた。顔色はずっと日にあたっていないかのように青白く、髪はやや乱れて跳ね、一対の漆黒の瞳は爛々と輝いていた。
「ゴシック系?珍しいな。まあ今はこういうのが好きな人も少なくないし……」
 面接官は怪訝そうに呟くと、少年をじっと見て、真面目くさって言った。
「槐くん、先に言っておくが、うちのクラブは少数精鋭路線でね、犬でも猫でも来るようなところじゃないんだ」
「精鋭ですね!わかります!」
 槐詩は背筋をピンと伸ばし、力強く頷くと、おもねるように言った。
「来る前に楊さんから、こちらはレベルが高いと聞いております。経験は豊富です、ご安心ください!」
 言い終わると、槐詩はめいっぱい愛想笑いをした。
 レベルが高いということは、それだけ給料も高いということだ!
 ここ数年は不景気で、新海市では大量の失業者が出ていた。苦学生がチェロ演奏のアルバイトを探すのは難しく、飢え死に寸前だった槐詩は仲介業の楊から好待遇のバイトの話を聞いて飛び上がるほど喜んだ。
楊の話では、ここは富裕層向けの会員制クラブで、ウェイターですら数千元のチップを稼ぐというのだから、チェロを弾いたらどれだけの大金が稼げるだろう?
 少年の奇妙な熱心さに面接官は気圧されながら、ちいさく頷いた。
「わかった。履歴書には特技はチェロと書いてあるし、何か弾いてみなさい。あまり酷くはないだろうね」
「ご安心ください!」
 槐詩は自信満々にしゃがみ込むとケースからチェロを取り出し、弓を持ち、少し考えた。チェロ独特の低い音色が弦から流れ出した。
 他のことはともかく、チェロに関しては槐詩は自信があった。この曲は何度練習したかわからないハイドンチェロ協奏曲第一番で、プロが審査したとしても、なんの減点要素も見つけ出すことはできないだろう。
いったんチェロを弾き始めると、槐詩は落ち着きを取り戻し、普段にもまして上手く弾くことができた。変化に富んだ音符と音符の間の哀愁が、楽器から活き活きと溢れ出していた。
 だが数分も経たないうちに、面接官はうんざりしたように手を振って遮った。
「もういい、そこまで」
「え?」
 槐詩は驚いて顔を上げた。一体どこがまずかったのかわからず、槐詩は急いでリュックの中を探った。
「証明書もあります。ロイヤル八級です。来月にはプロ初級の試験も……」
「いいから。そんなのは些細なことだ」
 面接官は煩そうに首を振った。
「うちは学歴は重視しない。楽器なんてネタになればいい。重要なのは……」
 彼は箱から取り出したいくつかの品物を机の上に並べた。
「どれが得意だ?」
「は?」
 槐詩は目を見開いて机の上の品物を見た。わけがわからなかった。
「こ……れは何の楽器ですか?」
「おい、わからないのか?君は経験豊富なんじゃなかったのか?」
 面接官は不愉快そうにデスクの上のタワシ、釘、ガスボンベ、くるみ割り鋏を指差しながら言った。
「マダムの快楽球、マダムの快楽釘、マダムの快楽火、マダムの快楽鋏……どれが得意だ?」
「……」
 槐詩はしばらく唸っていたが、手の中のチェロを見て、一縷の望みを託して言った。
「マダムの快楽……チェロ?」
 社長、黄金の指は要りませんか?
 それかあなた方の流儀で言えば、『マダムの快楽指』は?
「どれもできません、と言ったら?」
 面接官は怒り、槐詩の鼻を指さして怒鳴った。
「俺がどれだけ仕事が忙しいか知らないのか?!何もできずにホストになろうとしたのか?!他にも面接の予定が詰まってるんだ!俺の時間を浪費させやがって!」
「……ここはレストランの楽師を募集してるんじゃないんですか?」
 ここに来て、槐詩はやっと何かがおかしいことに気付いて呆然とした。
「待ってください!」
槐詩は厳しい顔つきで手を挙げた。
「僕は芸は売っても身は売りません!」
 バン!
 事務所のドアが槐詩の背後で閉まった。
 事務所から追い出された槐詩は廊下の椅子に座った。危うく純潔を失う一歩手前まで来ていたのだと思うと、いまになって恐ろしくてたまらなくなった。だがスマホの銀行残高を見れば、一線を踏み越えてみたい気持も沸いて来る……
 何年も芸を売ってきたが、身まで売れと?
 だがどうせ純潔の火はいつかは消えるのだ……
 槐詩が顎に手をあてて考え込んでいると、脳裏に一連の『マダムの快楽シリーズ』が浮かび、全身がゾッと震えた。
 やっぱりやめだ、やめ……
 槐詩は涙目で金銭の誘惑を退け、後ろ髪を引かれる思いでクラブの外に出ようとした。ドアの近くの金色のライオン像を見て、槐詩はまた堪らない気持になった。
「ちょっと待て!」
 槐詩の背後で呼ぶ声がした。
振り向くとスーツ姿の男が立っていた。容貌は整っているが冷たい感じのするその男は、槐詩をジロリと睨んだ。
「おい、お前だ!」
「俺?」
 槐詩は驚き、男の視線に圧倒されて思わず立ちすくんだ。
「新入りか?ナンバーワンに挨拶ぐらいしたらどうだ?」
その男は歩いてくると、階段の上から槐詩を見下ろし、頷いた。
「顔は悪くない。だが身の程をわきまえろ。美貌で言えば、君は俺には遠く及ばない」
 言うと、男は手で長い金髪を掻き上げた。
 槐詩はいやな気持になり、言い返した。
「すみません、ナンバーワンのお兄さん。僕はホストにはなりません!」
「ああ、いまはホストじゃなくて『広報』と言うんだ。同じことだが」
『ナンバーワン』は頷くと、鷹揚に手を振って言った。
「気にするな。『お兄さん』と呼ばれたからには、君の面倒は見る」
『ナンバーワン』は階段を降り、クラッチバッグから小さな瓶を取り出して   槐詩の手に握らせ、親しげに少年の肩を叩いた。
「ホストだって専門職だ。帰ったら顔に塗ってごらん。君はお肌の手入れを疎かにしている。せっかくの小顔なのにもったいない……大事に使えよ、欧州の高級品だ」
 言い終わると、「ありがとう」の言葉も待たずに槐詩の顎をクイと持ち上げ、それから身を翻して去っていた。
「……」
 槐詩は目を見開きぽかんと口を開けて立っていたが、視線を落として手の中の化粧品を見た。そして『貧乏な若者をバカにするな』の類のことを言おうかどうか考えた。
 しばらく槐詩はその精巧な小瓶を見ていたが、苦虫をかみつぶしたような顔でポケットにしまった。
 いいさ、どうせここまで来たんだ。見たところ高級そうだし、捨てるのはもったいない……未開封だし、持って帰って楊に売らせよう。
 貧乏は人を謙虚にする。
 建物を出ると、槐詩はリュックの中から一冊のノートを取り出し、パラパラとめくり、溜息をつくと、またリュックにしまって歩き出した。
そして楊のことを思い出し、槐詩は思わず歯ぎしりをした。歩きながらスマホを取り出して電話をかけ、開口一番、大声で罵った。
楊兄ようにいあんた病気か?あんたが紹介したのはホストの募集だったぞ!仲介料欲しさにトチ狂ったか!」
『ああ、俺もちゃんと聞いてなかったんだ。先方は、若くて、経験豊富で、ルックスがよくて、才能があるのを探してるって言うから……お前が金に困ってると思って紹介したんだ。怒るな、明後日うちに飯を食いに来ないか?女房の退院祝いをするんだ。ニラを買ってくるのを忘れるなよ』
「屁でもくらえ」
 槐詩は怒る気もなくなって電話を切った。あのバカ、絶対にわざとだ。自分がうっかり罠に落ちたら仲介料を取るつもりだったんだ。
だが楊の家の事情を考えると、怒る気も失せた。
 楊は癌を患った妻の治療費を工面するために必死で金を稼いでいる。でなければ数十元かそこらの仲介料のために、槐詩のような人間に細々としたアルバイトの斡旋はしないだろう……仲介料はしっかり取るが、人柄が誠実で思いやりがあり、他の業者のように色々な名目で仲介料以外の金を取ることはなく、この仕事をしているものとしては良心的な方だった。
 血の繋がりはないが、苦難を共にする兄弟同然の仲だ。
 槐詩が溜息を吐いた時、雷の音が聞こえた。
 風に吹かれて青い海が波立ち、キラキラと光を反射している。
 雨が降りそうだった。
 槐詩は顔を上げ、どんよりと曇った空に黒雲が吹き流されて来るのを見た。雲の中には珊瑚が群生していて、魚の群れが泳ぎ回っている影が見える……
 七、八十年前には、あの珊瑚雲は珍しかったという。その頃は珊瑚はまだ海の中だけにあって、まだ世界中の空を漂ってはいなかった。多くの科学者が大気汚染が原因だと言ったが、信じる人は少なかった。
 珊瑚雲が発生し始めた頃は、終末が来るなどと大騒ぎになったらしいが、数十年経っても預言書に書いてあるような世界の終わりは来なかった。
 時間が経ち、皆が慣れた。
 空に何かが漂っているだけで、降雨量が増えたわけでもなければ、飛行機もこれまで通りに飛べるではないか?
 金は稼がねばならず、負債は返さねばならず、日々は同じように過ぎていく。
 何日か騒げば、すぐにまた正常に戻る。
 これまでの日々と何の違いもない。
 雷の音がした。
 傘を持っていなかったので、槐詩はぐずぐずせずに帰途についた。走っていると、また大きな音が聞こえた。
 今度の音はとりわけ大きく、大地さえ震えるようだった。
槐詩は音のした方を振り向き、遠くの埠頭で煙と炎が上っているのが見えた。何かが爆発したらしい。
 通行人たちは顔を見合わせたり、呆然としたりしていた。ある者は興奮して携帯電話で写真を撮り、またある者はもっとよく見ようと埠頭の方へへ歩いて行った。
 普段であれば、槐詩も野次馬に混ざって見に行っただろうが、いま彼は危うくホストにされそうになったショックと生活の重責でいっぱいいっぱいだった。何か騒がしいけれど、やはり帰ろう……
 槐詩は溜息をつき、角を曲がって路地に入り、足を速めた。
 ガチャン!
 路地の突き当り、瓶が壁の上から落ちてきて割れた。一面に散らばったガラスが、槐詩の皮靴の底に砕かれた。
 槐詩が立ち止まっていると、曲がり角から現れた男が槐詩に向かって突進して来た。酒に酔ったように、足元がおぼつかず、凄いスピードで、咄嗟に避けた槐詩の横をかすめると、壁にぶつかった。
 槐詩は驚いた。
 なんて勇者だ?
 その『勇者』は、よろよろと後退して槐詩を見ると、飛び掛かってきた。
 避けるのが間に合わず、槐詩は男に腕を捕まれた。重い箱が胸に押し付けられるのを感じた。
「なんだ?」
 槐詩は驚いて立ちすくみ、咄嗟に相手を押し返そうとして自分の手が濡れていることに気づいた。どろりとした赤いものが男の袖口から流れ出ていた。
 血だ。
 濃厚な血なまぐさい臭いが顔を打った。
 槐詩は急激に激しい眩暈と頭痛を覚え、腰をまげて、胃液を吐いた。
 槐詩が顔を上げて見ると、大男は顔を歪ませ、何か言おうとしているのかのように口をぱくぱくさせていたが、突然大きく口を開けて大量の血を吐き出した。
 奇怪なものを槐詩は見た。
 地面に吐き出された血溜まりの中に……一匹の金魚がいる?
 いわゆる金魚鉢で観賞用に飼う金魚で、丸々と太って可愛らしい。
「お兄さん、それ食べたんですか?まだ生きてますよ!」
 槐詩は驚きに目を見開いた。
「お腹壊したんじゃないですか?」
 血溜まりに落ちた金魚は急速に干からびていき、最後に一塊の灰になると、血に溶けて消えてしまった。
 金魚が消えると、その男はすべての気力を失ったかのように地上に倒れ、呼吸をしなくなった。ただドロリとした血が男のコートの下から滲み出て広がっていった。
 静寂の中、路地には槐詩だけが残された。
 そして手の中に押し付けられた箱……
 その箱は一般的なルービック・キューブよりやや大きく、ずっしりと重かった。振ってみると、ぽちゃぽちゃと液体が入ってるような音がした。
 触った感じは鉄や銅のようにひんやりとしていて、表面には見たことのない華麗な模様が彫られており、不思議な魔力を宿しているように見えた。
 槐詩は唾を飲み込んだ。
 喉が渇いていた。
 手に持ったそれを、槐詩は思わず開けようとした。中にある何かが彼を誘惑し、一人占めしたいという気持を起こさせている……
 槐詩は深呼吸をした。
 このような状況でどんな選択をするべきか、悩むことがあろうか?
 槐詩はすぐにスマホを取り出した。
「もしもし、警察ですか?」

訳註
マダムの快楽チェロ/富婆快乐琴……2018年に「富婆快乐球」というネット用語が中国で流行しました。きっかけはあるブログの記事で、その内容は以下のようなものでした。「私の友人はホストとしてある金持のマダムに囲われていた。手当は月6万元と高かったが、友人は一週間と経たずに逃げ出した。そのマダムは彼の××を鉄のタワシ(钢丝球)で擦るのである。」ネット上で、鉄のタワシは「金持マダムの快楽球」と呼ばれるようになり、
またそこから「富婆快乐〇〇」という派生語がたくさん生まれました。

訳者コメント:
実はですね……この私家版翻訳派を作者の風月先生に送ったことが微博で話題になりまして、新華網日本語版にも取り上げられたのでした(*´艸`*)
https://jp.news.cn/20230425/9c5274af5b5b433abf05c351e3f8b76a/c.html

#中華ファンタジー #翻訳小説

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